梅雨の東京のありふれた朝

 昨日の月曜日、会社の最寄りの私鉄の小さな駅を降りて、駅前のセブンイレブンで会社に着いたら食べる朝食用にと、白飯に目玉焼きと刻んだ叉焼を掛けて食べる一膳飯と、昼に食べる海老かつサンドイッチ、それから少し迷ったあとに野菜ジュース一パックを買う。もう三年も使っている緑の折り畳みバッグを広げて、レジの男の子が籠から取り出してバーコードを読んだ順に、バッグに入れていく。会社への道すがら、青梅が二つ三つ転がり落ちている。先日、Rさんのブログに落ちていた青梅を踏んでしまい割れたらそこから微かな果実の香りが漂ったと書いてあったことを思い出す。それがどんな香りなのか、自分も踏んでみようか、と一瞬思うが、黒革のビジネスシューズ(ずっと決めているリーガルウォーカー)が実を踏むのにふさわしくない。雨は降っていないが、低く雲が垂れ込めている。でも黒い雲ではない。白い雲が垂れ込めていると街はコントラストが低いのに明るく見える。神社に一本、すくっと高く立っている銀杏の木の葉はもはや新緑ではなく、立派な大人の葉になった。赤いシャツを着た男が白く小さな飼い犬を連れて散歩に来たのだろう、私が通りかかったときには銀杏の木の下に犬も男も立ち止まって動かない。朝早い出勤だから、そしてセブンイレブンに寄ったので、同じ電車で降りた人は皆先に行ってしまった。これから駅に向かう人とは四人か五人とすれ違う。私は財布や社員証や、頭痛薬や不整脈の薬を入れたもともとはキャンディーが入っていた缶(この缶を薬入れに使い出してからもう30年くらい平気で経っているな)や、コンパクトデジタルカメラ、小銭入れ、携帯アルコール、寒かったときに羽織るけれどどうやら使わないだろう黒いユニクロの二年前に買ったカーディガン・・・カーディガンはいつのまにか随分持っているから袖がよれて伸びたのはそろそろ廃棄しようかな、でももったいないか・・・それと、文庫本を入れたデイバックを背負っている。文庫本は滝口悠生著「高架線」(講談社文庫)だ。今朝から読み始めた。今日は電車通勤にしたから本を読むことが出来た。自家用車通勤の日はほとんど本が読めないのだ。そこは電車通勤の最大の自覚的メリットだと思う。無自覚のメリットはそれなりに運動になっているらしいということだ。デイバックはアマゾンの年に何度かあるセールの日に、四年くらい前かな、安かったので買ってみたティンバックの黒いやつ。主たる収納部の更に外側(背中側)中央に縦にまっすぐチャックがあるので、虫の、蝉や蠅や甲虫みたいだ。そのポケットが便利なバッグ。何気なく買ったバッグ、それほど悩まず買った、そういうものの方が結果として使いやすくて愛用することが多い。これは私だけのことなのだろうか?特にバッグが。それと買ってすぐにまだ相性が判らないうちに、なんとなく合わないかもしれないと思い込み、失敗したーと思いながら使わなくなったバッグや靴が、一年か二年かときにはもっと後になり、ふと使い始めて、しばらく使うと馴染んできて、なんだこれ使いやすいじゃん!と思い直して、そこから愛用することもある。などとバッグに気が向いたのは、中身がすかすかのデイバッグを背負っていると、左肩がすぐにずり落ちてくるから、長さ調整をするのだが、そのうち今度はバッグがどんどん上に来てしまい窮屈な感じ。今日のYシャツはボタンダウンのちょっとカジュアルなグレーのコットン。目も粗いしそんなに滑りやすいとは思えないのだけれど、荷物が軽いからだろう。左に曲がってしばらく歩くと、さきほどの銀杏の大木のあるのとは別の神社。夏越しの祓の幟が立ててある。茅の輪がもう設置してあるかと覗いてみるがまだだった。会社に着く。少し汗ばんでいて暑いから、数年前に取引先にいただいた扇子を拡げて仰いでみる。そこには赤い花が何輪も咲いている椿の模様が描かれている。電子レンジは窓際にあり、一膳飯を温める2分半のあいだに外を見る。梅雨の朝の東京は、今日も白っぽくて霞んでいた。それで数日前に都内のホテルのもっと高い階で、朝に撮った写真があったことを思い出した。その写真を火曜にブログに載せようか。湾岸地区の大きな団地なのかマンションなのかが、モノレールの向こうに見える写真。さらにその向こうには港の重機、動物のようにも見せる荷の上げ下ろしの重機が微かに霞んだ先に。手前にはビルの合間に赤い電車が見える。京浜急行線の赤い電車くるりが「赤い電車」で歌っている。写真に写っている梅雨の都会の朝のこの写った範囲にいったい何人の人がいるのだろう。マンションのとある部屋で誰かがまだ夢を見て寝ているし、誰かは徹夜明けの帰宅でシャワーを浴びているし、誰かと誰かは満を持して愛し合っているし、誰かはトーストをかじりながら同時に服を着替えて寝坊をしたことを後悔しながら焦っているし、誰かは自分の信ずる宗教の作法通りに朝のお祈りをしているし、誰かは熱があって驚いている。ミサイルは飛んでこないだろう、今のところ。このまえスマホを眺めていたら日本のフォークロックバンドのおすすめ5選(といったタイトルの)記事があったので読んでみた。そこにターンテーブル・フィルムズというバンドが紹介されていた。ターンテーブルはレコード載せて回る。フィルムは写真のフィルムか。ではその単語が二つ並んでどういう意味なのかは分からないが、プレイヤーのターンテーブルも現像後のネガになったフイルムも私の部屋には両方ある。そして両方とも大事なものだな。Spotifyで聴いてみたら、悪くない、むしろいいな。アマゾンで検索すると中古のCDは格安だった。という流れで購入ボタンをクリックしてしまったのが今日あたり届くだろうか。ささやかな楽しみというわけだ。それにしてもバンドの皆さんも、こんな風にして関東に住むおじさんがふとCDを買ってみるなんてことが起きているって、予想外かもしれないな。一膳飯は美味しいが、電子レンジで加熱したご飯の熱さは、炊飯器で炊きあがったご飯の熱さと、同じ温度だったとしても口のなかで違って感じるものだと思いながら食べる。電子レンジで加熱した白飯はどこか乱暴で容赦ないのだ。それでちょっと四苦八苦して食べた。というわけで上の写真にはモノレールと赤い電車が両方写っています。私のターンテーブルはでもレコードの後半になるとトーンアームがスムーズに動けず針飛びを起こすのだった。いつか直すかそれとも売り払うか・・・。夏至です。

 

 

木々は黒くうねりつづけ

 昨日のブログに勿忘草のことを書いてアップしたあとに、レベッカ解散後のシンガーNOKKOが、平仮名ののっこ名義で出した「わすれな草」という佳曲があったことを思い出して、久しぶりにその曲の収録されている「ベダンダの岸辺」を流しています。このアルバム、ちょうどいま、この夏至の頃に聴くのが良いと思う。わすれな草の作詞はのっこ作曲は川村結花

♪ あなたといる他のために退屈があり なんて寝ころんでいるうちに 夏が深まって行く ♪

♪ あなたへのときめきは ウソつかずそのままにした まるで永遠につづくような この夏の暑さのように ♪

♪すみれ色に染まる空に 木々は黒くうねりつづけ 灯がひとつ 星がひとつ そしてキスをひとつよりも ♪

静かな決意があるような歌詞。この黄昏時の夜に向かう時間のすみれ色の空をバックにして「木々は黒くうねりつづけ」と歌うところに垣間見える怖さと、でも灯も星もキスもあれば、そこを越えられるだろうか。

 NOKKOはこの「ベランダの岸辺」の何枚か前に出していたアルバムのうち特に「colored」もよく聴きました。「人魚」(1994)というヒット曲が入っているアルバム。私はラジオで誰かとNOKKOが話しているのを聞いたのだったと思うけれど、この曲が恋人を歌ったわけでなく母へささげた曲だと言っていた。

 話は急に変わりますが、どこかの街の名前が出てくる曲はいいですね。NOKKOには「エビスワルツ」という可愛い曲がある。拓郎は「高円寺」、スピッツは「大宮サンセット」、椎名林檎の新宿は豪雨だし(群青日和)。山崎まさよし桜木町で傷心(ワンモアタイム、ワンモアチャンス)。私の住む茅ケ崎は、サザンの曲に何回か登場するけれど、やはりユーミンの「天気雨」ですね。AKB48の「君はメロディー」(2016)という曲はフォーキーで70年代80年代な感じだった。この歌詞にはセンター街が出てきました。

 写真は水色の紫陽花の花です。見ればわかる。コンパクトデジカメカメラを手前の花(なのか?)にぶつけるようにして、わずかな隙間から見える向こうの花にAFでピントを合わせて。そしてかろうじて紫陽花と判るようにしたけれど、紫陽花と判ることにこだわる必要があるのだろうか?写真を見ながらそう思いました。全面が写真の下や右のような、ただ濃淡があるだけの青でいいんじゃないか。写っているものが何なのかを残そうとすることって、なんか媚びているような感じがしないでもない・・・

 

わすれなぐさ色の富士

 青富士という単語があるものなのか?と例によってちゃちゃっとスマホで調べたら、どうやらあるらしく、しかもよく使われていると書いてあるサイトもあった。6月17日に新幹線の車窓から撮った富士山はくすんだ水色とでも言うのだろうか。日本の色の名前はたくさんあるから、この色は××色です、なのだろう。でも××を知らない。と書いたところで、またもやちゃちゃっとをやってみたら、勿忘草色(わすれなぐさいろ)が近そうだった。梅雨草色はもう少し濃いようだ。画像アプリでこの富士山のところにスポイトマークを置いてクリックすれば、それが色座標上で何番の色かが判るのだろうが、これはそんな番号なんかより、ずっと「勿忘草(わすれなぐさ)色」の方が良いではないか。

 では勿忘草の名前の由来はなんだろう?とまたもやちゃちゃっとやってみると、wikiによれば「騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!“(僕を忘れないで)という言葉を残して死んだ。」とあった。そのあとベルタはルドルフのためにこの花を墓に手向けたとあった。その花を採ろうとしなければ、その花を自分に渡そうとしなければ、恋人は死なずに済んだという、そういう経緯の花を恋人の墓に手向けるものだろうか?とも思わずにいられないが、その花があまりに美しければそういう気持ちになるものだろうか。wikiにまとめられた文章では判らない伝承物語の詳細にはそこに納得できることがあるのかもしれない。

 例えば真冬の快晴の昼間に、雪を被った富士山が青空を背景に見えると、新幹線の車中から写真を撮る人も多く、なんとなくざわついた感じが起きたりもするが、この霞んだ微かな富士山には気が付いた人すらいないようだった。そういう真冬の富士山も美しいが、こういう淡く見える富士山は、ちょっと例えが変かもしれないけれど、ミュージシャンの大規模ドームツアーで大歓声の中、立ちっぱなしで手を叩いたりジャンプしたりして音楽を聴くのではなく、小さなライブハウスでアンプラグドで行われるシークレットライブのようだ。どっちも良いけれど親密なのは後者(すなわちこういう富士山)かもしれない。

 

踏切を走って渡る理由

 深夜の踏切。電車が通り過ぎ、遮断器が上がった途端に、大股で走り始めた。終電に間に合うために大急ぎで走っているのかもしれないが、もっと別の理由があるのかもしれない。誰かを助けに行く、誰かを迎えに行く・・・深夜に急いでいる人は、自分もしくは誰かのために、必死になっている(ことが多いと思う)。いちかばちかなのか、最後の選択なのか、わからないが、どちらかというと、誰かへの愛情が、誰かが被る災難や不利益から救い出したいとか、誰かを引き留めたい、と彼を走らせる。(いや、ほとんどは終電に乗り遅れないためなんですよ、それはさておき、で書いてます。)Wi-Fiの電波が不調だったのかもしれない。彼はそれで誰かからのラインやメールを、30分も読まなかった。『終電まで深夜喫茶のDで待っている。あなたが来ると信じている。もし終電までにあなたが来てくれなかったら、私はあきらめ、遠い故郷へ戻って行くだろう。自分で決めなくてはいけないのはわかっている。あなたが来るか来ないかに賭けるような、あなたに決定の責任を押し付けるようなことをするのは最低だとわかっている、でもやはり希望はあなただから。』例えばそんなSOSが書かれていた。彼は30分を取り戻すべく走るが、日ごろの運動不足で心臓が爆発しそうだ。気管がぜえぜえなって痛い。でも足を止めないぞ!第三者に言わせれば、そんな奴に騙されるな、利用されているだけじゃないか、と言うかもしれない。だけど、やはり走らなくてはいけない。理由や理屈がどうだろうが、引き留めることが先決だった。とかね・・・

 ウディ・アレンの映画で、ラスト場面だったか、ウディがNYの町を全力で走って行くのだが、途中で息が切れてもうダメだ・・・と、でも、またウディは走り出した。あの映画は何だったかな?マンハッタンだろうか。

 あるいはペドロ&カプリシャスが歌った「ジョニーへの伝言」の歌詞。♪ジョニーが来たなら伝えてよ、二時間待ってたと、割と元気よく、出て行ったよと、お酒のついでに話してよ、友だちならそこのところ、うまく伝えて♪のジョニーは何故間に合わなかったのか。割と元気よく(本当は落ち込んでいる)出て行ったと伝えてほしい、それも、お酒の「ついでに」というところに、自分の気持ちが落ち込んではいない、大したことでない、と思わせてジョニーに後悔をさせない(安心させる)よう気配りをしているんじゃないか。でもジョニーが後悔するような気持ちでいるのなら、彼は来るんじゃないかな?と思う、ものの、この主人公とジョニーがこういう行動と気持ちになる、機微に飛んだ物語もあり得るんだろうな。

 男よ、白いシャツと黒いパンツをはいた男よ、ジョニーになるな、大股で全力で走れよ!

ケネディ暗殺ニュースはAMラジオで聞いた。

  小学生高学年の頃に京都や奈良や鎌倉のお寺巡りや仏像見物が好きだった。その頃に見た夢でよく覚えているのは、法隆寺まで一人で旅をするのだが、やっとたどり着いたその時に、閉門時刻となり、小学校とおんなじ終業のチャイム、それはたとえばドボルザークの新世界のメロディ、が、流ていて、わたしは法隆寺の外周を土壁に沿って走るのだが、なかなか入り口にたどり着けないまま、とうとう諦めて、法隆寺に入れない、そういう夢だった。そのあと、もしかしたら中学や高校の修学旅行、ともに京都奈良だったのたが、そのときに法隆寺に行ったかもしれないのだが、もう寺巡りの趣味なんて冷めてしまっていたからか、行ったかどうかも覚えてない。だから私の中では、法隆寺にたどり着いたのに閉門時刻を過ぎて入れなかった夢をみたまんま、実際にも法隆寺には行っていない、というのが正式な記憶としてあった。本日は奈良市入江泰吉記念奈良市写真美術館に須田一政写真展を見に行き、そのあとにとうとう夢の呪縛を解くべく(笑)法隆寺に行ってきた。今日は蒸し暑い日。30℃。法隆寺の駅から法隆寺までは15から20分かかる上広いお寺だから、五重塔や金堂から夢殿までまわる、それも長い距離になる。もう脱水症状間近という感じでスポーツドリンクをときどき飲みながらふらふらと歩いた。国宝の仏像たちも、甍の美しい建物も、美しかった。

 須田さんの写真展はずらりと代表作があれもこれも並べられ圧倒される。撮影は1977年中心に79年ころまでの、須田一政といえば!というべき66のモノクロのスナップが多い。そのどの一コマにも表情や振る舞いや姿勢が、一瞬だけそうなっても普通は気が付かないような一瞬のおかしみや奇妙さを纏う、そこを全部の写真が見事に捉えている。今と違って街角スナップは肖像権がどうのこうのと言われなかった時代で、撮られる方はおおらかだ。そもそも街にいる人たちがその外見の自由さ、表現の自由さにおいて、幅広くおおらかなのだった。すなわち須田一政の技と、市井の人々のおおらかさが、もたらした傑作群であり、いまはもう誰もこういう写真は撮ることができないんじゃないか、と思いました。

 で今日の写真は今日撮ったものではないです。ケネディが暗殺されたニュースがラジオから流れて、父が驚いて小学生だった私に教えてくれたときのことは今も覚えている。庭で遊んでいてそのニュースを聞いたと思います。庭には小さなひょうたん池や木瓜の木が有り、モズの生贄がボケの枝に刺さっていたときがあった。モグラがもこもこと下から土を突き上げて道筋を示している朝もあった。木造平屋の縁側には雨戸があり、雨戸の穴を抜けた陽の光が像を作っていた。そういう日本の朝にケネディ暗殺のニュースが流れてきたのだった。

むかし、二輪の教習所で転倒した

 明日の朝一番の新幹線に乗るために、都内のビジネスホテルに泊まることにした。28階のシングルルームのベッドのヘッドボードに寄り掛かりながらスマホの画面を見ている。近くのJR京浜東北線が走っていく音が聞こえる。踏切のカンカンカンという音も聞こえる。踏切の音ははっきり聞こえたり、小さくなったりする。ベッドにこうして転がる前にカーテンを開けて外を見た。思いのほか暗かった。すぐ近くの京浜東北線ではなく、もっと遠くには京浜急行線が走って行った。赤い電車は暗くて赤いことがわからず、人を乗せた光の箱がビルの向こうに見え隠れしながら走って行った。

 ふたたび京浜東北線の踏切が鳴り始める、しばらくして電車の音が聞こえる。静かになり数分が経ち、踏切が鳴り、やがて電車が通る。ところが、さきほどは踏切が鳴ったけれど電車はやって来ず、やがて鳴っていた踏切が静かになった。不思議なこともあるな。

 そう言えば、最近、羽田空港に降りる飛行機の航空路が変わったのか、会社の窓から、北から南へ、羽田空港に降りようと徐々に高度を下げて行く旅客機がよく見えるようになった。大抵、航路上の二機が同時に見えている。もうすぐに着陸する飛行機と、その次に着陸する飛行機だ。
 電車の音を聞いたり、降りていく飛行機を見ていると旅に誘われる感じがするし、どこにも行きたくないという正反対の気持ちもある。楽しいだろうという期待と、移動や観光の全部が、それが楽しいだろうことも含めて億劫に思えることもあるのだ。
 最近、パソコンの中の写真ファイルから見つけたどこかの街の交差点を俯瞰したスナップ写真にヤマハ二輪車XS400スペシャルが写っていた。むかし憧れたことのあるアメリカンタイプのオートバイ。二輪免許を取るために通った自動車学校はこのXS400スペシャルが教習車だった(ハンドルはオーソドックスなものに変えられていた)。ある日、教習車に乗ったわたしは、一本橋と呼ばれる二輪の練習コースの幅の狭い場所で、誤ってアクセルを回してしまい、オートバイは突然加速して、そのまま転倒した。そのことがあったから、転倒が車種のせいではなかっただろうに、XS400スペシャルを買うのはやめにして、免許を取ってすぐに、スズキの青い色のオーソドックスな形のオートバイを買った。このオートバイはトラディショナルとサイドカバーに書かれていた。Traditional。DOHC2気筒の250ccだ。

 オートバイに乗って移動を始めると端的に旅が始まる気がしたものだ。自分の体が自動車という室内ではなくむき出しに外の空気に触れながら、高速で移動を始めたからだろうか。当時、会社に行くためには寮を出て、国道246を右折する。ある春の晴れた朝、突然気がかわり、その交差点を左折して西へと向かってみた。もちろん途中の公衆電話で、なにか理由をでっちあげて、今日は休むと会社に伝えはしたが。あのときは、富士五湖のうちの山中湖と河口湖の中間あたりにある忍野まで行った。澄んだ池を覗いてみたりした。オートバイは跨って走っている最中にエンジンの音に耳を澄ませたり、その振動を感じることも楽しいから、それは移動時間ではなく旅の時間だ。それでも33歳くらいでオートバイに乗るのは辞めてしまったな。
 話は戻るけど、教習所で転倒した日は、ジョン・レノンが射殺されたその日かその翌日で、教習所に行く前にレコード店に入ったら、もうジョン・レノンの追悼コーナーができていて、IMAGINEやらのヒット曲が盛んに流れていたのを覚えてる。そのあと、ジョン・レノンが殺されたショックで気持ちが悲しみで揺らいでいて、その結果、一本橋で転倒した、というような理由付けをして時々誰かに話をしたことがあったが、こんなのはカッコつけてる話であって、どうしてあのとき急加速をし転倒したのかは本当のところはなにもわからない。

あの日は風が強い日だった

 写真を見直していると、風が強く吹いていた日があったことがわかる。街路樹が表よりも白っぽい葉の裏側を明るく見せながら大きくしなっていると、カメラを向けたくなる。そういう写真は実際にそこに立って、木を見ていたときほどには風が写っていない。あぁ、もっと大きくゆさゆさと枝が動き、そのたびに葉が擦れるざざざっと言うような音がしたのに。そうして私の右の頬に風が当たり、分けた髪が持ち上がり、そして乱れたのに。その風に吹かれている感じはなかなか写らない。しかしそういう稚拙な写真であっても風が吹いていたことだけは写っている。風が吹いているとカメラを向けたくなるから、撮った写真はたくさんある。風の日は、海には沖に白波があちらこちらに立つだろう。昼間の太平洋をこの相模湾沿いのどこかの高台から見下ろすと、海はいつも逆光だ。そのきらきら輝く逆光の海にたくさんの白波が踊っているような風景を、たぶん何度も見ている。

 それなのに、いま、あの日は風が強い日だった・・・で始まる具体的な過去のある日の出来事の記憶がなかなか浮かばない。災害級の大風の日のことを思い出したいわけではないのだが。風の写真や、風が吹いていた一瞬の光景の記憶はいくらでもあるというのに。このブログにだって、車のカバーが風をはらんで膨れたり萎んだりしているその一瞬を撮った写真を何回も使っている。上記のように沖にたくさん白波が立っている海原や、それこそ風の強い日に打ち寄せる大きな波の写真もブログのどこかにあるだろう。葉裏を見せた街路樹の写真もあるし、街角で風に煽られた長い髪を、あるいは、飛ばされそうになった帽子を抑えている人たちの写真も載せた。だけどそれらは皆、ある日あるときに私が見ていた目の前の風が作った光景の記録であって、もっとなにかの出来事があった日に風が吹いていて、そのことが印象的に、出来事とセットで風が吹いていたなということを覚えている、そういう記憶が、出てこないのだ。

 たとえばの話。わたしは改札を出たところでAさんを待っている。Aさんは歩いて三分くらい離れた喫茶店Bでわたしを待っている。わたしは待ち合わせ場所が改札だと勘違いしている。本当は喫茶店Bで待ち合わせる約束だったのに。もう待ち合わせを十五分も過ぎてしまっている。今日はちょっと風が強い。改札を出るとすぐにバス通りがあり、そのバス通りの柳の街路樹が風に揺れている。今ならスマホでなにか連絡を取るだろう。当時はこういう状況になると、どうしたんだろうか?という不安ばかりだった。そのうち、もしかすると、喫茶店Bで会おうと、最後にそう決めたんだっけ?昨晩の電話で・・・と自分の勘違いに気が付く。電話というのは家電(いえでん)といまは呼ぶダイアル式の固定黒電話のことだ。とにかくBに行ってみよう、そう思い立つともう走り出していた。柳の木が揺れている下を、歩道に敷かれた正方形のブロックがところどころ欠けているところに引っ掛からないように気をつけながら、煙草を吸っている男をスキーの滑降のようにぎりぎりですり抜けながら、長い後ろ髪が日の光を浴びてつややかに光っている女を大回転のように回り込んで追い越して。 走る私の顔に水滴が何粒か当たった。見るとすぐ横の公園にある小さな噴水の水が風に乗って飛んできたのだった。男を抜き、女を抜き・・・もう少しでBに着く手前の信号が赤になってしまう。信号の向こうからは柳に代わり、そのバス通りのランドマークになっているような大きな欅の並木が始まる。夏が近づき、濃い緑の葉が大きな日陰を作っているその欅の下の歩道には丸い葉漏れ日がいくつもいくつも重なっては、水族館のクラゲのように揺れている。渡った先の最初の欅がゴオゴオと風を音に変えて、まるで動物が楽し気に声を上げているようだ。それにしてもいつまでも信号が青にならないから抜いて来た男と女も私に追い付いてしまった。男が信号で止まるとグレーのジャケットを脱いで右手の指先に襟の位置を引っ掛けて肩から後ろへ回し、よく磨かれた茶色の先のとがった革靴の先でトントンとリズムを取った。女は彫像のようにどこも動かさないでじっと信号が変わるのを待っているが、もちろんその長い髪だけは風を受けてときどき煽られた炎のように揺れていた。

 案の定、喫茶店BにAさんはいて、遅かったじゃない、とだけ言った。本を読んでいたらしく、わたしと一緒に店に入った風が本のページを捲って行った。そこには「青い服を着ている日には必ずあなたを誘った」という文章が見えている。Aさんの前には彼女が頼んだ透明なガラスの器に入った丸いバニラアイスクリームが置かれているが、そのアイスクリームの球体はずいぶん溶けていて形が崩れ、流れ落ちている。アイスクリームを食べたようには見えなかった。額から汗が落ちる。ごめんごめん、改札と間違っていたよ、待ち合わせ場所、と言い訳をする。溶けているアイスクリームを指さして、溶けてるよ、と言うと、Aさんは、なんとなくあなたが来るまでは食べたくなかった、それだけ、と答えるのだった。そんなときにふと視線を上げると、窓の外に見える欅がまた強い風で揺れて、喫茶店の窓からひゅうと音を立てて隙間風が入って来た。アイスクリームを食べずに待っていたAさんを、愛しいと思う。そしてもう一度彼女を見る。彼女は青い服を着ていた。

 これ、いまここででっちあげた作り話。なんかこんな風に出来事を風が演出していたという実際の記憶がひとつも思い出せない。だからでっちあげてみましたが、こんなんじゃなくって、絶対なんかあるはずなんだよなあ。

 写真は日曜の大船フラワーセンターで風に揺すられていた低木です。萩のように見えるけど、萩の花は9月頃だろうから、萩じゃないですよね?ではなんでしょうか?