踏切を走って渡る理由

 深夜の踏切。電車が通り過ぎ、遮断器が上がった途端に、大股で走り始めた。終電に間に合うために大急ぎで走っているのかもしれないが、もっと別の理由があるのかもしれない。誰かを助けに行く、誰かを迎えに行く・・・深夜に急いでいる人は、自分もしくは誰かのために、必死になっている(ことが多いと思う)。いちかばちかなのか、最後の選択なのか、わからないが、どちらかというと、誰かへの愛情が、誰かが被る災難や不利益から救い出したいとか、誰かを引き留めたい、と彼を走らせる。(いや、ほとんどは終電に乗り遅れないためなんですよ、それはさておき、で書いてます。)Wi-Fiの電波が不調だったのかもしれない。彼はそれで誰かからのラインやメールを、30分も読まなかった。『終電まで深夜喫茶のDで待っている。あなたが来ると信じている。もし終電までにあなたが来てくれなかったら、私はあきらめ、遠い故郷へ戻って行くだろう。自分で決めなくてはいけないのはわかっている。あなたが来るか来ないかに賭けるような、あなたに決定の責任を押し付けるようなことをするのは最低だとわかっている、でもやはり希望はあなただから。』例えばそんなSOSが書かれていた。彼は30分を取り戻すべく走るが、日ごろの運動不足で心臓が爆発しそうだ。気管がぜえぜえなって痛い。でも足を止めないぞ!第三者に言わせれば、そんな奴に騙されるな、利用されているだけじゃないか、と言うかもしれない。だけど、やはり走らなくてはいけない。理由や理屈がどうだろうが、引き留めることが先決だった。とかね・・・

 ウディ・アレンの映画で、ラスト場面だったか、ウディがNYの町を全力で走って行くのだが、途中で息が切れてもうダメだ・・・と、でも、またウディは走り出した。あの映画は何だったかな?マンハッタンだろうか。

 あるいはペドロ&カプリシャスが歌った「ジョニーへの伝言」の歌詞。♪ジョニーが来たなら伝えてよ、二時間待ってたと、割と元気よく、出て行ったよと、お酒のついでに話してよ、友だちならそこのところ、うまく伝えて♪のジョニーは何故間に合わなかったのか。割と元気よく(本当は落ち込んでいる)出て行ったと伝えてほしい、それも、お酒の「ついでに」というところに、自分の気持ちが落ち込んではいない、大したことでない、と思わせてジョニーに後悔をさせない(安心させる)よう気配りをしているんじゃないか。でもジョニーが後悔するような気持ちでいるのなら、彼は来るんじゃないかな?と思う、ものの、この主人公とジョニーがこういう行動と気持ちになる、機微に飛んだ物語もあり得るんだろうな。

 男よ、白いシャツと黒いパンツをはいた男よ、ジョニーになるな、大股で全力で走れよ!