15年前の雲の穴

 数年前の11月への旅。今度は2007年の11月。仙台に行っていた。とくに明確な目的があったわけではなかったが、当時は宇都宮市に単身赴任暮らしをしていたから、東北新幹線に乗って、仙台まで行ってみたのだと思う。気の向くままに散歩して、いい感じの路地を見つけると、ミノルタの大きなフイルムの一眼レフカメラで何枚も写真を撮ったのだが、写真のイメージは覚えているものの、その後の管理が悪かったのかフイルムスキャナーで読み込んだ画像データを誤って捨ててしまい、その日にフイルムで撮った写真は、二枚か三枚だけその後の写真展で使ったものをのぞき消え失せた。私の記憶にうろ覚えの写真イメージが微かにあるだけだ。

 歩いているうちに西公園の仙台天文台に出た。その天文台は2007年の11/25に閉台するとのことで、その日までおよそ3週間前に偶然にその前を通ったことになる。フイルムカメラのデータはなくなったけれど、サブで当時の500万画素くらいのコンパクトデジカメを持っていたので、そっちで撮ったほんの数枚だけ、天文台ドームや望遠鏡や天文の初歩を学ぶ設備の写真が残っていた。上の写真はそのデジカメで、天文台を撮る前に撮っていたコマです。空一面を覆っていた薄い雲のど真ん中が丸く穴が開いているように見えて、不思議空だなあ・・・と思ったことを覚えている。以来も以前も、こんな雲の穴を見たことはない。

 夜は定番の牛タン定食を食べて、ジャズ喫茶カウントでコーヒーを飲んだ(仙台に行くとそうするしてきたので、このときもそうだったと思うけれど、実はたいして覚えてない)。

 ジャズ喫茶に入り、大音量でジャズを聞くと、ジャズ喫茶に行っているというだけで心が浮き立っているからか、大音量にそういう効果があるのか、ジャズ喫茶に行っているのは大抵は旅行先だから旅先だということも作用してるのか、かかっているアルバムがどれも素晴らしく聞こえてしまい、どうしてこんな名盤をいままで知らなかったんだろう、などと後悔し、店を出たあとに近隣のレコード屋さんに駆け込んで、CDを買ったものだ。最近(とはいえここ10年も経つだろうか)は、近隣にCD屋さんがある(どこにでもCD屋さんがあった)こともなくなったので、アマゾン頼みにはなるけれど。カウントでもそういう「現象」が二度か三度、起きました。たしかそのうちの一回はアル・コーンとズート・シムスのアルバム「From A to Z」だった。この写真の仙台行のときだったかどうかはわからないが、雨模様の夜だった気がする。

 

 

落ち葉で遊ぶ

 数年前の11月の写真を見に行く旅。2010年。集めた欅の落ち葉に足をうずめてひとり遊びをしている少年の写真があった。そういえば熊手で落ち葉を集めることは平屋の長屋に住んでいた15歳頃までは庭掃除でときどきやっていたが、その後、集合住宅住まいになったあとは一度もやっていないだろう。まぁ、熊手で未舗装の地面に落ちた葉っぱを集めたり、鰹節けずりでしゃっしゃっと鰹節を削ったり、風呂を薪で沸かすための種火の新聞を薪のあいだに差し入れてのちぱちぱちと日が爆ぜたり、きっとそういうことを誰もが経験していたのは私よりせいぜい10歳年若い人たちまでくらいじゃないかな。いや、鰹節と風呂に関してはそうかもしれないが、いまでも秋に落ち葉が散る一戸建てにお住まいの方なんかは熊手を使っているのでしょう。さて、私に関して言えばその後、半世紀もそういうこと、熊手で落ち葉を集め、鰹節を自分で削り、風呂を薪で沸かすことをしていないけれど、これは「たぶん」だけど、もしいまやってみても、違和感なくこういう感じというのが蘇る気がする。いちど自転車に乗れてしまえば、何年乗っていなくても乗れることに変わりはないように。

 こんな風に集めた落ち葉の中に足をうずめて(正座した膝の上に落ち葉でも乗せているんでしょうかね?)座ったことはなかったけれど、秋になり冬に向かい夕方が来るのがどんどん早くなっていったころに、落ち葉焚きの焚火にサツマイモを入れて焼き芋を作った(正しくは父か母がそうしてくれた)ことはよく覚えている、なぜならとても美味しかったから。

 だいぶ寒くなり、しまっておいたオイルヒーターを稼働可能に設置しました。寒がりなのです。

ありきたりだけど記憶に残りそうな道

 写真は京都御所と梨木神社のあいだの砂利道です。11/10撮影。上の写真は南を向いて、下の写真は北を向いて。ゴースト(写真に写り込んでしまう迷光)除けのフード(レンズ先端に装着する不要光除けの庇)を使わないので、上の南を向いた写真は画面全体にゴーストが乗って、それでいわゆる逆光らしい。意図的にゴーストが被るカメラポジションで撮ることもあります。

 真ん中に人が歩き自転車が通ることで、砂利や落ち葉のない細い道筋が出来ている。そういうものです。写真を見ると、なんだか乾いている風景に見える。冬に向かうときの小春日和の光が、乾いて散って行く茶色い落ち葉や白く乾いた土を照らして、そう見えるんだろう。端っこの落ち葉の上を歩くと、サクサクと音がするだろうか。この道、長いけれど、誰かが真ん中に落ちた葉を箒で掃くのだろうか。毎朝毎夕この道を自転車で通っている人がいるんだろうな、通勤や通学で。ありきたりの風景なんだろうが、記憶に残るかもしれない。そんな気がします。

 中学生まで住んでいた家はバス通りから曲がった同じく砂利道(未舗装)の袋小路の一番奥で、その袋小路はバス通り沿いから一番奥の私の住んでいた家まで四軒長屋が連なっていた。入り口(バス通りに近い)から奥に行くにつれて、歩く人も減り、私の家の玄関前から、さらに5mか10m先に袋小路の突き当たりの壁があったから、玄関先から壁までのあいだは歩く人もなく、雑草が生えていたし、玄関前(ほぼ私の家の家族だけが歩き踏む道)は雑草はそれほどなかったが、蟻の巣穴がたくさん開いていた。子供の私は蟻の穴に水を注ぎ入れてみたりした。子供のいたずらはあるときにはちょっと残酷だったが、それで学ぶこともあった。

 

 平沼のガスホルダーと相鉄線

 東海道線JR東日本区間東京-熱海)の上り電車が横浜駅に入る直前、進行方向を向いて左側にこの東京ガスの平沼のガスタンクが三つ見える。右側のタンクの奥にもうひとつある。調べると正確にはガスタンクではなくてガスホルダーというそうで、液体状態で輸入してから気化したガスを都市および住宅のある人口密集地帯に供給する際に、朝と晩の供給量の差を吸収して安定供給をするための調整量を貯蔵する目的らしい。だから都市の近くに配置することに意味があるのだが、怪獣映画を観ていると、この施設は怪獣のターゲットとなり怪獣に破壊されて爆発することが多そうだから、そのイメージが出来上がっていて、こんなターミナル駅のそばで大丈夫なんか?ガス漏れで広範囲でガス中毒にならんのか?と素人考えで危惧してしまう。実際には大丈夫なんだろう。

 電車に乗って車窓から通り過ぎる風景を眺めていると、だんだん自分だけのランドマークが出来ていて、ガスホルダーを過ぎるとすぐに横浜駅というのもその一つで、ほかにも工場の壁にくっつくように植えられた背の高いメタセコイアがあったり、らせん状の坂道で投影面積を減らした自動車が渡れる跨線橋などがある。ランドマークだから写真に撮っておきたくなる・・・これは一般的感情じゃないからうまく伝わらないですね・・・でもまぁ写真に残したい収集癖(プライベートで気になる風景を残そうとする収集癖)を理解してくださる方はなんとなくわかる、かな?撮りたくなっても、満員電車のときは撮れないし、そう簡単ではない。撮影場所代金だと思って必ず座れるグリーン車を使っても、動いているから短時間で通り過ぎるし、手前に別の電車が通過中のこともあるし、架線や電信柱が画面を大きく覆ってしまうこともある。並走する相鉄線がこの上の写真のように写った方が良いか悪いかはそのとき次第というのか気分のようなことだが、相鉄線もすべてがこの紺色の車体ではない。写真的にはこの単色の紺色の車両がいいなと思う。相鉄線車両のなかに一人赤い服の人がいて、このちょっとした赤も悪くないが、こんなのは偶然の極みだ。手前の線路がうまく光ったのもいいと思う。なんてことを自画自賛しているが、そもそもこんな写真にこだわってどうするんだ?と思う人の方が正常です。

〆を食べたあとに(京都11/9)

 11/9、京都の煮込みやでカウンターに一人、辛肉味噌ご飯を〆に、一合飲み切らずにほろ酔いとなり、すっかり暗くなった街に出る。地下鉄の駅で二つと半分、ホテルまで新町通を、それでも相変わらず写真を撮りながら、ゆっくりと下る。今までカウンターに座り、ほかの客の内容までは聞き取れない話声に包まれ、厨房で動き回る料理人の手際の良さに感心し、ときにスマホを見て誰かにメールをし、その暖かな空間に包まれて安心して楽しんでいた。それなのに、通り過ぎる飲食店のなかに誰か知らない人たちが一人で二人でグループで、なにかをしゃべり食べているのを見ると、いいなぁとまたもや思うのだった。そうか、飲ん兵衛が何軒も店をハシゴするのは、寂しがり屋だからなのか・・・などと下らないことを思いつき、心の中で笑ってみる。すれ違う人は京都駅から会社帰りで速足で歩いてくる人たちも多いようだ。一番の観光地で仕事をしているってどういう気持ちなのかな。ほろ酔いおやじで申し訳ない・・・

 今日はもみじはまだまだ緑だったけれど、銀杏はだいぶ黄色くなっていて、桜はすっかり赤くもう葉を散らせていた。桜の紅葉はしっとりではなく、乾いた明るさがあり、けっこう好きだ。さて、ホテルに帰ったら、ホテルの売りのショートフイルム上映を見る元気があるだろうか?まずはベッドに寝転がり、天井を見上げながら深呼吸をしてみよう。そうだコンビニで水を一本買って行こう・・・

 

寄り道、道草、遠回り

 ひとり旅では、行ってみたい見てみたい場所や景色があり、食べてみたい飲んでみたい料理や喫茶があり、ときには乗りたい交通手段や鑑賞したい美術もあるかもしれないが、本を読む環境を求めるというのも、少なくとも私には上位の希望として「あり」です。まだこのブログにはそのことを書いていないけれど、旅の二日目に京都から大阪の岸和田城に行って重森三玲作庭の石庭を見て来ましたが、その行き帰りの電車移動も読書時間に充てるというのを最初から楽しみのひとつに入れていた。泊まったホテルも読書のために選んだ。フロント階から地階にかけて壁全体に大きな書棚があり、さまざまな分野の京都にまつわる本で埋め尽くされていて、気に入った本をゆっくり読めるソファーや椅子があちこちに置かれている。かといって小難しい本を持ってきたわけではなく、ライトノベルなんだろう夏川草介著「本を守ろうとする猫の話」にしたが、新幹線と大阪の行き帰りと、食堂や居酒屋で頼んだものが出てくるまでの時間に読み進め、二日目には読み終えたので、三日目の昼に、烏丸御池駅近くの大垣書店で大崎清夏著「目をあけてごらん、離陸するから」を購入した。

 書店から適当に歩いていると、下の写真の「つくるビル」の交差点に出た。1960年代のビルをリノベしたアトリエビルだそうだ。そしてこの五条通を渡るための大きな歩道橋も調べてみると1968年に作られていて、リベットむき出しの細い橋脚がいい味を出していて、その橋脚がアール(曲線)で桁に繋がっている一体的な構造が特徴的。これもにわか知識を得るために調べると、ラーメン構造というそうですが、その解説を読んだけど、土木学の専門?いや、たぶん基礎知識程度なんだろうな、それもないからなかなか理解出来なかったです。すなわちこの歩道橋とつくるビルと「セットで」60年代なのですね。ちょうど低学年の児童が下校する時刻に当たったのか、街のあちらこちらで小学生を見かけた。だいぶ前に、写真家数名が選ばれて、写真家の子供の頃の登下校の通学路を撮影した写真集シリーズがあった(と思う)。

 私は神奈川県の平塚市の、明治6年に創設した小学校に通った。なにしろ校歌に「思えば明治六つの年」という歌詞がありました。登校路はバス道りを南へ200m、大きな交差点で左折して東へ800m、T字路を右折して南へ300mと、計1.5キロほどあり、学区の一番端っこだった。だけどこの指定された通学路は登校のときに守るだけで、下校のときは細い住宅街の路地を、ときには誰かの家の庭なのか路地なのかわかんないような小路も交えて、あるいは総合病院の中に入り込み病棟を繋ぐ渡り廊下や患者が診察を待っている廊下まで、勝手気ままに選んでいた。告白してしまうと、途中で食べ残して家に持ち帰らなくてはいけない給食のコッペパンをさりげなく捨てたこともあった。あるいは煙草のパッケージを集めていて(きっかけは父が外遊してきた同僚から海外の煙草の箱をもらってきたから、そこから集めたくなったのです)道に落ちていた国産煙草の箱を拾ってポケットに入れて持ち帰ったこともあったが、もし見つかると子供のくせに煙草を吸っていると勘違いされるのではないかと怖くなった。総合病院の廊下のソファーには大人の週刊誌が置かれていて、それをこっそり覗き見る?読む?のは誰かと一緒のときで、一人では恥ずかしくて出来ない。

 そういう小学生の頃に、私の学校の近くにも××小学校と同じ名前の××第一歩道橋と××第二歩道橋が出来た。やはり1960年代の中ごろのことだった。

 

 

秋の昼下がりにウォーホル展を見ました

 数日前に京都京セラ美術館でアンディ・ウォーホルの展示を見ました。展示された作品の各シリーズは概ね知っていて、あぁあれね、うんこれね、そうそれね、という感じでささっと見てしまったが、後からちょっと自分がダメだなと思いました。1996年に東京都現代美術館ではじめてウォーホルの大規模展示を見たときは、知らなかった作品も知っていた作品も含め、なんだか心が踊らされ、興奮してしまった、その高揚した気分を今も覚えています。知っているから、あぁあれね、で通り過ぎるのではなく、知っていてもあらためて見て感動できるのが大事なんじゃないか、そう出来なかったのは結局自分の感受性が、見るもの聞くものに対峙してこちらの心が動かされる心のしなやかさのようなことが、いつのまにか凝り固まっているんじゃないか。ウォーホルに限らず、最近は美術館で抽象画を見たときに、以前のように心が踊ったり、逆にこれは嫌いだと感じたり、抽象画とのあいだに身体性を結ぶようなことが減っているとも思います。結局なにが描かれているかが判ることで安心している自分になっている感じがします。そんなことをウォーホルを見終わって反省していました。無意識的にそう(若い頃のように)できないのなら意識的にそう心がけようと思った。

 ウォーホルの作品とは別に、ウォーホルが日本に来たときに(誰か担当を依頼されたカメラマンなのか友人なのかが撮った・・・)日々をスナップしたモノクロ写真が展示されていて、けっこう物静かな感じで写っている。ひとつひとつ見るもの(日本の器とか、ですかね?)に対してそれを理解しようと、吸収しようという真摯な感じが写っている。そして、これもいつもの私の傾向なんだけど肝心のウォーホルの作品より、このスナップ写真を見るのがいちばん面白かった。やれやれ、やっぱり基本は写真に惹かれるのです。