風の効用

 十年前に葉山あたりで撮ったらしい。前後のコマからそう類推。だけど撮ったときのことなんかもうなにも覚えていない。この場所が海が見えるようなところなのだろうか。窓のすぐ向こうが海かもしれないと思うのは、向こうが白く写っていて、なんの建物の影も見えないからそう思うのだろう。この三枚の羽根のある装置ってなんだろう?風速計というのはスプーンのような形の羽根が風を受けてくるくる回るその速度で風速を測る。風向計というのはもっと矢のようなジェット機のような形をして風が吹いてくるその方向を指す。この三枚羽根の、ゼロ戦のプロペラみたいな形のものはどっちなんだろう。だけどきっとなにか目に見えない風を、空気の動きを測っている。

 だからどうして?という感じだけど、風の方向や強さを測る装置を「持っている」「設置している」「家にある」ってなんだかかっこいいなと思う。それは無風よりなんらかの風に、いや、無風も含めて風というものに、いろんな思いを載せるような気分があるからだと思う。坂本竜馬銅像が未来を夢見ているように見えるあの姿は、なんとなくだけれど正面から風を受けて(向かい風)それに反して進もうとしている感じを受けるからじゃないかな。

 上の写真の日は無風だったのかもしれない。南に向いてそこが海なら一日中日が差していて、昼間の室内はぽかぽかと暖かさを閉じ込めていたに違いない。でももうすぐ日が落ちる。すると途端に寒くなって来るだろう。だからまずカーテンを閉めようか。それでも波が寄せる音は、無風の波の小さな夜でも微かに聞こえている。長い夜をどう過ごそうか。本を読んでもいい、音楽を聴くのもいい、映画を観るのもいいだろう。だけど風が出てくると、なにか計画を作ってそれを進めたいと思うかもしれない。なんとか計画。なんとかは人それぞれだけど、なんとか計画があると、気持ちが風と一緒になって舞い上がる。風の効用。

光と影

 ひと月かふた月前のこのブログにも同じようなことを書いたけれど、作られた(建った)ばかりの新築のときから長い時間を隔てて、使われた痕跡が残っている壁やドア。もしかすると夜の写真だとそうは思えないのだろうか、こうして秋冬の斜めの太陽光線が当たる朝には、その言ってしまえば「汚れている」ところが美しいと思う。電線や電信柱の影がたくさんの光と影を織りなしていることもその理由なのだろうか。あるいは、そんな風に感じることは「一般的ではない」のかな。

 昨晩は、ワールドカップサッカーカタール大会の日本とドイツの試合をテレビ観戦した。前々回の大会あたりまでは、試合を見ることにもう夢中だった。興奮して緊張して、点が決まれば思わず声が出ていたかもしれない。負ければ機嫌が悪くなり、勝つと天にも昇るような気持ちになったものだ。それがだんだん熱が低下している。どきどきしない。冷静に見て、勝てば嬉しいし、おーっ!と思うがそれだけのこと、というか当たり前の興奮範囲に収まっている感じです。でも、わからないですね・・・このあとの試合でだんだん昔のように盛り上がるのかもしれないな。午後6時のニュースでNHKの上原アナが、最初はソファーに座って見てたけど最後はテレビの前に立っていたとおっしゃった。そうなんですよね。わたしはドーハの悲劇ジョホールバルの歓喜も、立ってみてた……。昨晩は座ったままだったけど。

 地元なので、ずっとベルマーレを応援しているから、ベルマーレから羽ばたいて行った6番遠藤航選手はとくに注目し応援してしまう。頑張ってください!

 

夕暮れどきの散歩の写真

 勤労感謝の日。朝から雨の日曜日。なので写真は約一年前の写真から選んできました。

 駅前のスターバックス、9:00。店員はグリーンのエプロンの下に赤いTシャツを着ている。いつもそうだっけ?分からないがこの季節にみどりと赤を組み合わされると、ひと月後になったクリスマスを意識したユニフォームなのかなぁ?と思う。壁際の長いベンチ席に座り、会計と調理のカウンターを見ていたら、緑のエプロンは同じだが、黒いタートルネックシャツの店員がもう一人、現れた。彼女はいつも接客をしているわけではなく、バックヤードに消えたり出たりしている。スターバックスのコーヒーは苦すぎてちょっと苦手。いろんなラテは美味しいです。以前、スタバでアルバイトをしている知人の娘さんに、どの飲み物が好きか?と聞いたことがあった(まぁ、いかにもおじさん的などうでも良いざっくり質問だった)。彼女はティーラテほうじ茶だと答えてくれた。気まぐれで適当に答えただけだろうか。そこはわからないが、おじさんには影響ある会話だった。その後しばらくティーラテを飲んだ。ティーはほうじ茶だけではなくアール・グレイやカモミールにすることもあった。70年代、紅茶イコール、ダージリンで、そこにアール・グレイというのが新規参入してきた。そのころはアール・グレイを選ぶのがちょっとかっこいい感じがあったから何かっていうとアール・グレイを頼んでかっこつけていた。その頃は、もしかしたら烏龍茶だってポピュラーになる前だった かもしれない。ましてやプーアル茶とかジャスミン茶は名前も知らなかった。

 最近はストレートティーを飲むことも多い。いちばんよく頼むのがカモミール。するとティーパックの引き上げる紐のところをカップの指掛にくるりと回して渡してくれる。ただ回すだけでなく、一回通すゆる結びになっている。店員たちがどうやって迅速にこのゆる結びを作るのか、けっこう指先をくるくる動かすのに難しさがあるんじゃないだろうか?と思う。だから自分のカモミールティーのパックの紐を解いてから、自分自身で簡単にゆる結びができるかをこっそりとやってみた。思った通り簡単には出来ない。湯を注ぐ前の段階なら簡単に出来るのかもしれない。……わからないな。

 ティーパックの紐の結び方なんかに拘るのは、雨の日で時間に余裕があるからかもしれない。こういう心の状態、すぐ目の前にあるもの(この場合はティーパックの紐)に注意が向くときの心の状態を、なんていうのかな?と考えたら、内省的という単語が浮かんだ。スマホで内省的を調べる。「自分自身の心の内側を省みるような性格」と解説されていたが、内側を省みるってどういうこと?少なくともティーパックの紐の結び方に関して気になることは「内省的」ということではなさそうだな。それにしても内省の解説が「心の内側を省みる」って字のまんまであり、それじゃ結局意味が理解できない。

 一年前に海辺で撮った犬を連れて散歩してる人の写真。またHDDから拾い出してきた。水平線がだいぶ傾いていたからフォトショップで水平になるよう回転補正を掛けたけれど、そのまんまの方が良かったかもしれない。逡巡のような気分。上の写真はモノクロで、モノクロにした上の方がイチオシってことにしたいのだが、でも下のカラー写真も捨てがたい。どっちがいいのか自分でも決められない。

朝からの日曜日。駅前のスターバックス、9:00。店員はグリーンのエプロンの下に赤いTシャツを着ている。いつもそうだっけ?分からないがこの季節にみどりと赤を組み合わされると、ひと月後になったクリスマスを意識したユニフォームなのかなぁ?と思う。壁際の長いベンチ席に座り、会計と調理のカウンターを見ていたら、緑のエプロンは同じだが、黒いタートルネックシャツの店員がもう一人、現れた。彼女はいつも接客をしているわけではなく、バックヤードに消えたり出たりしている。  ところでエプロンと書いたけれど、最近もエプロンと言うのかな?何十年も前は前掛けと言ってもエプロンと言ってもどっちも当たり前だった。いまは前掛けと聞くことは少ない気がする。聞いてもびっくりしないが、びっくりする若い世代もあるのかな。  スターバックスのコーヒーは苦すぎてちょっと苦手。なんとかラテは美味しいです。以前、姪がスタバでアルバイトをしていたとき、どの飲み物が好きか?と聞いてみた。まぁ、いかにもおじさん的などうでも良いざっくり質問だった。姪はティーラテほうじ茶だと答えていた。姪は気まぐれで適当に答えただけだろうか。そこはわからないが、意外とおじさんには影響ある会話だった。その後しばらくティーラテを飲んだ。ティーはほうじ茶だけではなくアール・グレイやカモミールにして。70年代に紅茶と言うのはイコールダージリンで、それしかないところに、アール・グレイというのが新規参入してきた。アール・グレイを選ぶのがちょっとかっこいい時代があった。その頃はもしかしたら烏龍茶だってポピュラーになる前だった かもしれない。ましてやプーアル茶とかジャスミン茶は名前も知らぬ。  スタバで。最近はラテにもせずストレートティーを飲むことも多い。するとティーパックの引き上げる紐のところをカップの指掛にくるりと回して渡してくれる。ただ回すだけでなく一回通すゆる結びになっている。店員たちがどうやって迅速にこのゆる結びを出来るのか、けっこう指先をくるくる動かすのに難しさがあるんじゃないだろうか?と思う。だから自分のカモミールティーのパックの紐を解いてみてから、簡単にゆる結びができるかどうかをこっそりとやってみた。思った通り簡単には出来ない。湯を注ぐ前の段階なら簡単に出来るのかもしれない。……わからないな。  ティーパックの紐の結び方に拘るのは雨の日で時間に余裕があるからかもしれない。と思った。こういう心の状態、手前にあること、この場合はティーパックの紐、に注視しているようなことに注意が向くときの心の状態を、なんていうのかな?と考えたら、内省的という単語が浮かんだ。スマホで内省的を調べる。自分自身の心の内側を省みるような性格、と解説されていたが、内側を省みるってどういうこと?少なくともティーパックの紐の結び方の技に関して気になることではなさそうだな。それにしても内省の解説が心の内側を省みる、って字のまんまであり、かつ、それじゃ結局意味が理解できない。  昨日のブログには「だべる」という単語を普通に使ったが、そんなに当たり前には使わないんじゃないか?と思ってこれも気になり調べてみる。駄弁が転じてどうでもよいおしゃべりをすることをだべる、すなわち駄弁るということが書かれていたが、それが、大正から昭和の頃の若者たちの流行語だったとか、東京とその近隣では長く使われてきたとか、いまは廃れているとか、一方でいまも普通に使われてるとか、さらには、80年代に若者が多用した、とかなんとかいっぱい解説が書かれていて驚いた。昨日のプログの写真にシルエットになって写っている、ストリートにたむろする若者たちは、自分たちはしゃべってるのであって、だべってると言われても言葉の意味すらわからないな、なのかもしれない。  だべるは私はよく使ってるか、駄弁という単語を使ったことはないな。詭弁のほうがまだ使ったことがありそうだ。だけども「きべる」とは言わないんだろうな。聞いたことない。  

友だちとその辺で会ってだべっている

『4月に新しい街で新しくはじめた暮らし。すぐに四人か五人、友だちが出来て、まぁそのあとはもうたいして仲間は増えない。最初の出会いがいつでも肝心だから。それで毎日のように、街のどこかにこいつらとたむろしては夜遅くまでだべっているうちに、なんだか魔法みたいじゃないか、もう11月だって、信じられない。夏は暑かったっけ?そんでも外にいて、だべっていて、あの日誰かが言ったことと今日俺が言ったことにたいして差なんてないじゃんね。ただそんときの流行りによって話んなかに出てくる固有名詞が、いっちゃん新しいのに置き換わる。そりゃそうだよ、そこがいちばん大事。だっせえことなんか言えっこねえ。・・・そう、みなおなじみで、今日もおなじみの話ってことさ。誰かが誰かに惚れたとかさ、誰かと誰かが喧嘩したとか。でもほんとのところ、もう夏の終わりころから、俺は、少し飽きてるんだ。どこかで誰かがなんかやらかして、大笑いしたりしても、おおげさってのは過ぎるとつまんねえし。。だから、俺はもうすぐどこかへ行こうと思っている。新し場所へ行けば、また新しいダチがすぐに四人か五人出来るだろう。それでまたこいつら最高だぜと思いつつ、街のどっかでたむろしてだべる。繰り返しだな。繰り返しだけど、繰り返さねえよりはいい感じじゃん。違いますかね?冬になるから、そろそろ南にでも行こうと思ってんのよ、俺。』

・・・みたいな感じですかね?(笑)2022年11月21日横浜駅近くでスナップ。もうこんな風に仲間としゃべることなんかないんだろう。知らんけど、知らんだけで、いちばん、いい時間を過ごしているかもしれないよ、羨ましい。知らんけど。

近道の途中の細い路地を折れる

 これから冬のあいだもずっとそうだけれど、太陽の位置が低くなるとともに、落葉樹が葉を落として、光が地面まで届きやすくなると、街の光と影の作る模様が気になりだす。葉を落とした樹影がどこかの壁に毛細血管のようなゆらゆらとした線を繋いだ影になっていたり、並ぶ戸建ての家々の霧妻屋根などが三角形のギザギザ模様を舗装された路地に落としている。そういう光景が晩秋から冬を越えて初春までの季節の街歩きの醍醐味というのか、いや私的なことかもしれないな・・・カメラを向けてしまう好きな光景だ。この街に引っ越してきて30年以上の時間が流れて、その間に一度も引っ越していないから、家からたとえば駅までの道は一通りではなく、二つ三つ四つ・・・どこを曲がればここに出るというような応用編のように気まぐれで組み立てられるが、それでも、昨日の午前、人と自転車が国道の交差点を三角形にショートカットする近道を歩いていたら、さらにその小路の途中で左の路地から自転車が一台出てきて、同時に自転車が一台そっちに行った。この路地はおよそ30年前にいちど、近所の探検気分で曲がったことがあったが、行き止まりのはずで、だからもう30年以上その路地に入ったことなんてないけれど、もしかするとなにかの建物があらたななにかに建て替えられたときに、袋小路が突破されて、紳士服のAの裏手あたりにつながって近道の近道になったのかもしれない。そこで、それを確かめるために路地を曲がる。突き当たりに小学校の裏門があり、路地はそこからさらに右へ曲がって行き、進むと正面が学校関連(学童を放課後に預かるようなのかな?)建物で、そこで行き止まりだったから、30年前とたぶん同じ袋小路だった。だけどほんの数十メートルの袋小路でも、こんな風に屋根の作る影があり、トタンで作られた倉庫には電線が影を作っている。道や建物が変わっていなくても、その日の光や、その日(季節)の雑草や木々の様子で、そしてなにより私がもう30年もここに入り込んだことがなかったということが加味されて、ちょっとだけだけど気持ちがうきうきして、まぁこれだって非日常な感じ、イコール旅した感じが、しないでもない。袋小路からいつもの近道に戻る。近道の国道に出るところには白い可愛らしい二階建ての小さな賃貸マンション(アパート?)があるが、ここは南側にある大きなビルの影になり、どの部屋もだろうか、とくに一階は、夏のある一時期しか日がささない。いまは全戸南側のベランダに終日、日がささない。そこに住むことはないが、ある日を境に日が届きだすと部屋というのもなにか物語を生むのかしらと思う。その日の差さない白いマンションの隣の木造平屋の庭に柿の木があり大きな実が生っていた。

鴨川デルタの乾いた秋の日

 新入生歓迎の季節や晴れた観光シーズンの土日休日には、大勢の人がやってくる出町柳駅近くの鴨川デルタ。NHKのドキュメント72hでも取材されていた。くるりの「宿はなし」に♪飛び石のほら真ん中で 笑う顔なく顔 日も暮れた♪と歌われる(たぶんこの場所を歌った歌詞はほかにもたくさんあるだろう)。11月11日金曜日の午後1時過ぎ、鴨川デルタに遊ぶ人は少なく、ただ秋の意外に明るい陽射しが降り注いでいて、着ていたコートもカーディガンも脱いだわたしのTシャツの下の胸や背中には汗が流れていた。雨が降って、また晴れて、季節が冬に向かう。景色が乾いて見えるのは、ずっと長いこと雨が降っていないからではなく、芝生も冬枯れし、落葉樹の葉が色づいてたり落ちて、白っぽい黄土色などが支配的になったからだろう。乾いた風景、こういう小春日和の風景は、あっけらかんとぽかんと広く、どこも絶景でもなく、ただの殺風景で、それが良い。今現在の美をリアルで観たいのであれば(それならば今なら紅葉の名所へ行きなさい)ここはふさわしくないかもしれないが、もっと別のなにかをぼんやりと悲観的にはならずに考えるとき、暖かなこの日の光を心に閉じ込めてそれを道標にしてこれからを進もうと思うようなとき、こういう場所が必要なのかもしれない。鴨川デルタはそう機能もできるから、この場所は青春の、あるいは人生の、節目になる・・・

 読みかけの本は「鴨川ランナー」。

 

きめ細かい作業を正確に積み重ねていくことが苦手

 一週間前に京都旅行から戻り、この一週間、ほとんど写真を撮っていないので、またHDDに過去の年の11月に撮った写真を見に行った。これは昨年、2021年の写真。薄曇りの日、三浦半島の長者が崎から撮った写真。もう少し人が多い方が楽しそう、あるいはもっと陽の光があれば晴れやかな気分が蘇る。などとこれじゃない光景を見たくなるのが、秋深まる薄曇りの一日そのものかもしれない。

 たまたま、いまこれを書いているPC机のモニターのすぐ横にArctic MonkeysのTRANDURITY BASE HOTEL + CasinoのCDが置いてあり、ジャケット写真はメンバーが構想した「月面に建てられるホテル+カジノ」という建物案のペーパークラフト模型、いや、正しくはそのホテルのロビーに飾られるその建物の縮尺模型という想定だそうだ(ネット検索でちゃちゃっと調べた結果でした・・・)。

 ジャケット写真を見ていて思い出したこと。

 小学校の六年になると、クラブ活動のどれかに入部する決まりにがあった。運動部は身体が小さい自分にはどれも難しそうだし、そもそも運動部でなにかひとつのスポーツをやりたいとは思えない、かといって文化部でなかなか入りたいクラブが見つからない。そこでふと思い出したのは、募集しているクラブ一覧にはないのだが、たしか昨年までは「地理模型部」というのがあったじゃないか、あのクラブはどうしてないんだろう、ということだった。そこで担任のK先生に申し出たところ、毎年入部者数が少ないから今年はなしにしてみたけれど、数人希望者がいるのなら復活してもいい、ということだった。それで三人か四人、同じような「なるべく楽したい、クラブ活動めんどくさい」派を集めて、地理模型部が復活した。例えば富士山が3776mこれを例えば高さ方向3.776cm=0.03776mの模型にしようとすると縮尺は10万分の一。3.776cmを厚さ1.5mm=0.15cmの紙を重ねて作ると仮定すると3.776/0.15=25となるから、25枚の標高差151m(3776/25=151)の等高線の描く平面を切り出して順に重ねてセメダインで貼って行くことになる。こういう模型が売られていた。いまもペーパークラフト商品としてたぶんあるんじゃないかな、どうだろう。それを学校を通して買ってもらい(いくつか売られている地形図の場所があって、選んで買ったと思います)作った。これがやってみるときめ細かい作業で、はさみで切りぬくときの正確さ、そのエッジがきれいであること、セメダインが全面に塗られて隙間なくぴったり貼られること、セメダインがはみ出さないこと・・・等々により完成品の美しさに大きな差が生まれた。正直言って、私は模型作りが三人か四人のなかで結果からすると一番下手くそだった。途中でぴったり貼られる紙と紙のあいだが浮いてしまった箇所が出来て、そこに楊枝やら細いもので接着剤を隙間に入れてから、重しをしても、結局そこからまた剥がれてしまう。何度もやっていると接着剤が流れ出てくる・・・自分の選んだ場所はまさに富士山だった気がします。(調べたら山岳立体模型キットという名前でいまも売られていました)

 子供心にも、あぁこういう正確性と確実性とミスのない積み重ねの細かい作業って、私には向かないんだろうな、とわかった気になった。そういえば今日、近所の「星景等のタイムラプス撮影」を趣味としている知人と話す機会があったけれど、私はああいうきめ細かい準備を確実に行い、編集もまた膨大な時間を掛けて積み上げていく、そういう作品作りは出来ないなと思った。だからね、小学生のときから知ってました、そういうの向かない。。。

 マイナーなクラブでしたね、全員がおとなしい男の子で、そしてせいぜい二つくらいの模型を作ってそれでクラブ活動も終了したと思います。その後、中学では吹奏楽部、高校では写真部、という経歴でした。