夕暮れどきの散歩の写真

 勤労感謝の日。朝から雨の日曜日。なので写真は約一年前の写真から選んできました。

 駅前のスターバックス、9:00。店員はグリーンのエプロンの下に赤いTシャツを着ている。いつもそうだっけ?分からないがこの季節にみどりと赤を組み合わされると、ひと月後になったクリスマスを意識したユニフォームなのかなぁ?と思う。壁際の長いベンチ席に座り、会計と調理のカウンターを見ていたら、緑のエプロンは同じだが、黒いタートルネックシャツの店員がもう一人、現れた。彼女はいつも接客をしているわけではなく、バックヤードに消えたり出たりしている。スターバックスのコーヒーは苦すぎてちょっと苦手。いろんなラテは美味しいです。以前、スタバでアルバイトをしている知人の娘さんに、どの飲み物が好きか?と聞いたことがあった(まぁ、いかにもおじさん的などうでも良いざっくり質問だった)。彼女はティーラテほうじ茶だと答えてくれた。気まぐれで適当に答えただけだろうか。そこはわからないが、おじさんには影響ある会話だった。その後しばらくティーラテを飲んだ。ティーはほうじ茶だけではなくアール・グレイやカモミールにすることもあった。70年代、紅茶イコール、ダージリンで、そこにアール・グレイというのが新規参入してきた。そのころはアール・グレイを選ぶのがちょっとかっこいい感じがあったから何かっていうとアール・グレイを頼んでかっこつけていた。その頃は、もしかしたら烏龍茶だってポピュラーになる前だった かもしれない。ましてやプーアル茶とかジャスミン茶は名前も知らなかった。

 最近はストレートティーを飲むことも多い。いちばんよく頼むのがカモミール。するとティーパックの引き上げる紐のところをカップの指掛にくるりと回して渡してくれる。ただ回すだけでなく、一回通すゆる結びになっている。店員たちがどうやって迅速にこのゆる結びを作るのか、けっこう指先をくるくる動かすのに難しさがあるんじゃないだろうか?と思う。だから自分のカモミールティーのパックの紐を解いてから、自分自身で簡単にゆる結びができるかをこっそりとやってみた。思った通り簡単には出来ない。湯を注ぐ前の段階なら簡単に出来るのかもしれない。……わからないな。

 ティーパックの紐の結び方なんかに拘るのは、雨の日で時間に余裕があるからかもしれない。こういう心の状態、すぐ目の前にあるもの(この場合はティーパックの紐)に注意が向くときの心の状態を、なんていうのかな?と考えたら、内省的という単語が浮かんだ。スマホで内省的を調べる。「自分自身の心の内側を省みるような性格」と解説されていたが、内側を省みるってどういうこと?少なくともティーパックの紐の結び方に関して気になることは「内省的」ということではなさそうだな。それにしても内省の解説が「心の内側を省みる」って字のまんまであり、それじゃ結局意味が理解できない。

 一年前に海辺で撮った犬を連れて散歩してる人の写真。またHDDから拾い出してきた。水平線がだいぶ傾いていたからフォトショップで水平になるよう回転補正を掛けたけれど、そのまんまの方が良かったかもしれない。逡巡のような気分。上の写真はモノクロで、モノクロにした上の方がイチオシってことにしたいのだが、でも下のカラー写真も捨てがたい。どっちがいいのか自分でも決められない。

朝からの日曜日。駅前のスターバックス、9:00。店員はグリーンのエプロンの下に赤いTシャツを着ている。いつもそうだっけ?分からないがこの季節にみどりと赤を組み合わされると、ひと月後になったクリスマスを意識したユニフォームなのかなぁ?と思う。壁際の長いベンチ席に座り、会計と調理のカウンターを見ていたら、緑のエプロンは同じだが、黒いタートルネックシャツの店員がもう一人、現れた。彼女はいつも接客をしているわけではなく、バックヤードに消えたり出たりしている。  ところでエプロンと書いたけれど、最近もエプロンと言うのかな?何十年も前は前掛けと言ってもエプロンと言ってもどっちも当たり前だった。いまは前掛けと聞くことは少ない気がする。聞いてもびっくりしないが、びっくりする若い世代もあるのかな。  スターバックスのコーヒーは苦すぎてちょっと苦手。なんとかラテは美味しいです。以前、姪がスタバでアルバイトをしていたとき、どの飲み物が好きか?と聞いてみた。まぁ、いかにもおじさん的などうでも良いざっくり質問だった。姪はティーラテほうじ茶だと答えていた。姪は気まぐれで適当に答えただけだろうか。そこはわからないが、意外とおじさんには影響ある会話だった。その後しばらくティーラテを飲んだ。ティーはほうじ茶だけではなくアール・グレイやカモミールにして。70年代に紅茶と言うのはイコールダージリンで、それしかないところに、アール・グレイというのが新規参入してきた。アール・グレイを選ぶのがちょっとかっこいい時代があった。その頃はもしかしたら烏龍茶だってポピュラーになる前だった かもしれない。ましてやプーアル茶とかジャスミン茶は名前も知らぬ。  スタバで。最近はラテにもせずストレートティーを飲むことも多い。するとティーパックの引き上げる紐のところをカップの指掛にくるりと回して渡してくれる。ただ回すだけでなく一回通すゆる結びになっている。店員たちがどうやって迅速にこのゆる結びを出来るのか、けっこう指先をくるくる動かすのに難しさがあるんじゃないだろうか?と思う。だから自分のカモミールティーのパックの紐を解いてみてから、簡単にゆる結びができるかどうかをこっそりとやってみた。思った通り簡単には出来ない。湯を注ぐ前の段階なら簡単に出来るのかもしれない。……わからないな。  ティーパックの紐の結び方に拘るのは雨の日で時間に余裕があるからかもしれない。と思った。こういう心の状態、手前にあること、この場合はティーパックの紐、に注視しているようなことに注意が向くときの心の状態を、なんていうのかな?と考えたら、内省的という単語が浮かんだ。スマホで内省的を調べる。自分自身の心の内側を省みるような性格、と解説されていたが、内側を省みるってどういうこと?少なくともティーパックの紐の結び方の技に関して気になることではなさそうだな。それにしても内省の解説が心の内側を省みる、って字のまんまであり、かつ、それじゃ結局意味が理解できない。  昨日のブログには「だべる」という単語を普通に使ったが、そんなに当たり前には使わないんじゃないか?と思ってこれも気になり調べてみる。駄弁が転じてどうでもよいおしゃべりをすることをだべる、すなわち駄弁るということが書かれていたが、それが、大正から昭和の頃の若者たちの流行語だったとか、東京とその近隣では長く使われてきたとか、いまは廃れているとか、一方でいまも普通に使われてるとか、さらには、80年代に若者が多用した、とかなんとかいっぱい解説が書かれていて驚いた。昨日のプログの写真にシルエットになって写っている、ストリートにたむろする若者たちは、自分たちはしゃべってるのであって、だべってると言われても言葉の意味すらわからないな、なのかもしれない。  だべるは私はよく使ってるか、駄弁という単語を使ったことはないな。詭弁のほうがまだ使ったことがありそうだ。だけども「きべる」とは言わないんだろうな。聞いたことない。