卵の側


 白黒のフイルムを自分で現像するようになったのは高校2年のころからで、最後に現像をしたのは2004年くらい、以降はデジカメが多く、ときにフイルムで撮るときもカラー(現像はDP屋さんに頼む)。白黒フイルムは撮らなくなってしまった。
 1991年、川崎市民ミュージアム近くの某公共の施設の会議室で、会社の「アイデア出し合宿」というのがあり、その昼休みにミュージアムに行ってみたら「近代芸術の諸相」という展覧会をやっていた。いまその展覧会の図録を見てみると、展示作品のなかにはウィリアム・クラインロバート・フランク、ゲリー・ウィノグランド、ダイアン・アーバス、なんかの代表作も展示されていたらしいが覚えていない。いまほど写真史にも詳しくなかったし、それらの人の作品について詳しく知りもせず、だから随分と貴重なチャンスを「ちゃんと見ていなかった」わけだ。ただ、その展覧会でリー・フリードランダーの作品も数点展示されていて、その昼休みに私はフリードランダーのセルフ・ポートレイトシリーズの「ニュー・オーリンズ」にすっかり魅せられた。いま、図録に収録されたその写真を見て、あの91年の川崎市民ミュージアムで作品を前にして立ち尽くしてしまった理由は判らない。というか、そのときだってそんな理由なんか自分でも判らなかったのだろう。あとからなんとか理由をでっち上げる〜乾いた風が吹いている〜とか、そんなことはいくらでも言えるが、本当のところは判らない。とにかくそんな風にフリードランダーに出会ってから、私は、毎日、白黒フイルムを入れたカメラを鞄に入れて持ち歩き、何か気になる光景があればなるべく面倒臭がらずに撮ることをはじめた。「一日一写」(少なくとも毎日一枚は写真を撮る)ということを自らに課していた。それまでは休日に、カラーポジを入れた一眼レフと数本の交換レンズを持って「写真を撮りに」出かけていたが、毎日持ち歩くために、カメラは小さいもの、ライツミノルタCLかコンタックスTかオリンパスXAかカルディアトラベルミニ(なんて名前だったかしら)かティアラかオートボーイ3かオリンパス35DCのどれかになった。ちなみにオリンパス35DCは「カメラのきむら」のジャンク棚から1500円で買ってきて、いじっているうちに治ったものだった。
 いま、一冊に50本分の白黒ネガがファイルしてあるネガファイルが7冊と、ちゃんとファイルできていない白黒ネガが100本くらいはあるから、50×7+100で450本くらいのネガがあるが、その7〜8割は90年代前半に撮ったものだろう。先日、このブログにも書いたようにそのころのコンタクトを見つけて眺めていたら、なんだか結構面白い写真があるようだったので、今週は、夜、会社から帰るとNO6のネガファイルを開け、6-01から6-17までの17本のネガから気になるネガをスキャナーで読み込む作業をしてみた。木曜日の夜に読み込んだデータをプリントアウトしてみることにしたのだが、ただストレートにプリントするのではなく、ちょっと柔らかくしてみることを思いついた。引き伸ばし作業でストッキングを使ってソフトな感じに仕上げるのが好きだった。それと同じ感じをフォトショップを使って出してみた。こういうの好きなのだから仕方がない。
 というわけでこれがその中の一枚。大きな波が打ち寄せているときの茅ヶ崎海岸。

 さて、今週のニュースでは村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ、感動した。 どちらが正しいか正しくないかという次元ではなく、壁と卵が戦う場面があれば私は必ず卵の側に付く、と村上春樹は言っていた。このスピーチを聞いて「ダンス・ダンス・ダンス」を思い出した。もう「いるかホテル」も消えた札幌で「僕」が戦ったものは何だったのか。