近況


 ブログを書こうという意欲みたいな気持ちも、当然、波があって、急にいまは減退。先週まで野村仁展をきっかけに随分と熱心にいろいろ書いた、その反動かもしれない。
 だから、これを書き出したけれど、かなり面倒臭い。

 6/21鎌倉のカフェトムネコゴでギターデュオの小さなライブ。天野丘+嶋岡光孝による。ギターという楽器ってピアノやサックスに比べて、(意外にも?)朴訥としている気がする。ましてデュオとなると輪をかけて。そして私はその感じが大好きなのだった。二曲目に演奏されたアントニオ・カルロス・ジョビンの曲O'grande amorを聞きながら目を閉じていると、こんなことを書くとキザの極地みたいだが、本当に時間を遡ってさまざまな場面が蘇る。加藤和彦のなんとかいう曲に、恋人との記憶を辿る歌詞のなかに「少し風邪を引いている君のことが僕は気がかりだった」という歌詞があったことも思い出す。なんかそのときにはそんな風に思ってなくて、今思い返すと、とてもピュアだったことがあって、そういうことを辿っているような・・・
 6/23-25、会社のA部長から借りた伊坂幸太郎著「ゴールデン・スランバー」を読む。エンタテイメントたるものこういう結末を迎えるべきという常道にのっとって華々しい。楽しめる。
 6/24夜、とある祝賀会の立食パーティにて寿司やら豚肉グリルやらソーセージやらなにやら、たらふく食べる。それで帰宅後、これでは太ってしまうと思い、半年ぶりか一年ぶりか夜にジョギング。するとやっぱり全然走れない。呼吸のたびに胸のあたりがなんだか共振している感じ。そのジョギングのせいか6/25-26と太ももが筋肉痛。
 6/26会社でKさんと話す。ちかぢか行きたいと思っている、府中市美術館で開催中のブラウン社デザイナーだったディータ・ラムスの工業デザインを中心とした美術展にKさんが行ってきたという話になる。フライヤーをいただく。そこに載っている1962年製ブラウン社のラジオのデザインとかたまらないねぇ。いまこういうデザインをしなさいといえば今のデザイナーたちはできるのだろうか?当然過去の手法を繰返すことは可能なはずだよなあ。でもそうしないのはやっぱり大衆に、60年代の工業デザインは、レトロな感じは起せても購買意欲を持ち上げる大きな力にはなれなくて、もっと最新の何かを生み出すべく自助努力が続くから、続いたゆえにipodみたいなものが出てきて、だからそれは正解なのだろうが、それにしても死屍累々と失敗製品が積み重なっているのではないのか?などと思う。思うがこれはやっぱり単純な素人考えで、こと写真に関して、知ったかぶりした却って手に負えない奴等(って私なんですけど)が「作法にのっとったの既存写真の複製みたいな写真」は撮りたくない、とか言うのと同じレベルで語れば、まさに60年代デザインは既成写真に相当し、いまそんなことをやっても複製行為に過ぎないってことなのだろうか。とか、考えたりした暑い金曜日。
 6/27、家族の某の通っている高校の文化祭に行き、久々、学生達の野外劇みたいなもののビデオを撮る。それから広い構内を歩き回る。この学校は歴史があって、敷地が広くて、使われていない古い体育館がそのまま物置になって残っていたり、もう誰も入っていけないようなジャングルのように雑草や木が生い茂っている裏山があったり、いったいいつ作られたのだろうか、コンクリートの階段見物席があるプールがあったり。だから文化祭そっちのけでそういうところを見て楽しむ。校舎と校舎のあいだの木々も大きく育っているものが多く、見上げると緑が美しい。
 6/27文化祭見物を終えてから、由比ガ浜のジュルネへ行き昼食。キャベツたっぷり豚丼を頼んだ後に、店主のayaさんが「パクチー入り野菜のパウンドケーキ」(でよかったっけかな?)がオススメだとおっしゃるからそれも食べる。すると食後にぽこんと腹が出っ張る。常連客とおぼしき、私よりどうやら7〜8歳くらい年上の男性が、では茅ヶ崎まで歩いて帰りましょう、と冗談を言う。このパウンドケーキは最高でした。またもや笑みがこぼれる美味しさ。そののち茅ヶ崎ではなく鎌倉駅あたりをぶらぶらとする。写真はとある乾物屋さんかな・・・の日よけ。