匂いの記憶


 金曜日の夜、家に近いバス停留所でバスを降りて、歩き始めたその瞬間にバスの排気ガスの匂いをかいだ。いつもなら、その匂いが嫌だという不快な思いがするだけだったろうが、金曜日のそのときは、気温とか明るさとか湿度とかも関係していたのかもしれないが、不快を押さえ込んでそれよりも「懐かしさ」が現れた。その「懐かしさ」がどういう具体的な記憶にくっついていることなのか?その「具体的な記憶」が思い出せないのだが、抽象化されたような「懐かしさ」が起きた。
 私は、たぶん、嗅覚とか味覚とか聴覚の解像度がたいしたことないと思う。人の声をすぐに聞き分けられるひとはビートルズの曲を聞くと、それを歌っているのが、ポールかジョンか、ジョージか、リンゴか、すぐに聞き分けられるし、家族の某は嵐の曲を聞くと、パートパートでリードボーカルをとっているのが、はいいまはアイバちゃんとか、はいいまはマツジュンとか、すぐに判るらしい。しかし私は、好きなバンドの曲を何度も聞いても、ボーカリストを聞き分けられないことが多い。
 聴覚とか嗅覚の解像度が低いと、それにまつわる記憶もたいしたことがないのか、いままでこの金曜日のバス停みたいに嗅覚から記憶を刺激されたことがあんまりないように思う。だから、この「懐かしさ」には本当に驚いたのだった。

 最近のこと。
・7/5府中市美術館に行く。そのまえにYuki.TくんとMくんと渋谷で会って、彼らの写真展予定のはなしなど聞く。
・7/7-7/9。H野くんから借りた森見の新作「宵山万華鏡」を読む。そのあと、まだ読んでいなかった「きつねのはなし」を読み始める。
・7/11午後3時ころより茅ヶ崎市内を散歩。鉄砲通りのカフェ・ハッチという、オープンまもない店を見つけて、珈琲を飲む。店主がハンガリーで撮った写真が飾ってあり、見入る。白黒のやわらかいラチチュードのプリント。話を聞いたらインクジェットプリントだという。きれいなグラデーションだった。ずっとジャズが流れている。店に置かれていたロバート・フランクの「フラワーズ」という写真集をめくっていると気分がよい。この写真集、アメリカ人、以前に撮られた写真らしい。おもしろかった。
 上の写真はこの散歩の途中で。