フイルム写真のもたらす懐かしさ

 ある過去のことを思い出して、懐かしいなあと思ったり、一方で、同じくらいの過去のことでも、まだまだ生々しいちょっと前のことであり今とのつながりが強くとてもじゃないが懐かしいなどとは言えないと思ったり。それはその思い出した過去のことが、どういうことなのによるかで決まることが圧倒的なんだろうが、まぁそれほど大きな悩み事や課題ではなく、ただ日常の暮らしのなかに波風とは関係なく見てきたものだと、いやそれにだって個人の記憶がまつわりつくから懐かしいと思ったり思わなかったりするんだろうが、なにをもってたまたまそれを思い出したのか、の、その「なに」によって懐かしさの度合いというのか記憶の色合いが変わるんじゃないか。

 そんな他愛もないことを感じたのは、上の写真をここにアップするために今年の3月に撮ったフイルム写真から拾い出したときに、もう椿が咲いていた3月から4ケ月もの時間が流れたのか・・・と、時間の流れはなんと早いものか、と思ったからなのだが、そう思ったのは、椿の花を見に行ったことを思い出したきっかけがこのフイルム写真だったからじゃないだろうか?これが同じ日に撮ったデジタルカメラの写真だと、そこまで懐かしいとは思わず、今に続くちょっと前の日のことだ、と感じたかもしれない。

 もしこの仮定が正しいとするとフイルムカメラで撮った写真の、高画質という単語からは外れる方向の、諧調のつぶれ方、色再現の転び方、粒子の見え方、が加わった「フイルム画質」が懐かしさ強度を増す方向でアシストしている。それを項目別に定量的に証明するのは困難なのかもしれないし、もっと乱暴に「見た目の高画質からなんでもいいけど低画質に転んでいればすべからく」懐かしさを誘発するのかもしれない。

 今日の文章はこんな感じで、ちゃちゃっと済ませて、すいません(笑)