九州へ


 只今、入社して30年目で会社からもらえる特別休暇中。16日羽田7:30の飛行機で福岡へ。福岡でhiro23さんとIさん、電車で移動した柳川でSATOちゃんはじめ皆さんと合流し、柳川を案内してもらう。川下りと鰻せいろ蒸しと路地散歩と御花観光。皆さんありがとうございました。感謝感激。
 えっと、詳細はまた後日に追記するとして、まずは飛行機から見下ろした富士山の写真を載せておきます。

 機内案内を読んで安定飛行中はカメラ起動はOKを確認し、更に念のために客室乗務員にも確認してからコンデジのスイッチを入れまして、何枚か撮影。上空から見下ろしていると本当に日本地図通りに本物の地形がそこにあってそれが驚きだったりする。山中湖なんかも地図通りだった。本末転倒的認識か?京都の上空からは鴨川デルタが確認できた。

(5/26追記)
 福岡空港でhiro23さんに出迎えていただく。ありがとうございます。福岡の地下鉄や西鉄SUICAが使えるとのこと。柳川まで順調に移動。途中YUKIさん、柳川でSATOちゃんとそのご友人とも合流。川下り→鰻のせいろ蒸し昼食→街歩き撮影会→御花見学、と案内をいただく。


柳川の川下り。静かに船が進むこと、水面近くに視点があること、が気持ちよい体験となる。それっぽい建築物や行き交う船や船頭さん、なども撮ったけれど、このなんでもない草の景色がそのときの気分に近いかな。さわやかな。


一緒にいたみんながほとんど全員撮っていた駐車場の花です。この季節の旅行は新緑と咲き誇る初夏の花に目が惹かれる。それには素直に従いたい。他の人の写真はどんなだったでしょう?


この日の写真の中では私の一番の気に入り。ちょっとだけ違う画角の駒が何枚もあって、そういうのを見ていると、似て非なる、ことを痛感する。


住宅地が空との境界に作る直線が組み合わさったような形をファインダーで見つめているようです。様々な記憶とともに。


赤い花。絞りを開放にして中望遠で近寄って・・・ということもやりましたが、選ぶ段になるとただのワイド一発が物語ることが多いように思えるのです。

 SATOちゃんとそのご友人の皆さんは写真クラブのようなところに通っているそうで、またYUKIさんも一緒に歩いてみたら随分とコンデジを使いこなして積極的に撮影をされる様子で、昼食後の街歩きは快晴のもとふらふらと花や若草や古い建物、雲や風、が作り出す一瞬一瞬の光景に惹かれて、酔っ払いの千鳥足みたいだ。
 これは後日に考えたことだが、昼食後に御花までのあいだに歩いたところは、特別な観光地や風光明媚な名所ではないが、そういうところをカメラを持ってみんなと歩いていると、例えば半分くらいは意識的にあとは放ったらかしに作られたような花壇に咲き乱れる赤い花とか、醤油会社の大きなトタンの倉庫とか、上にあるような駐車場の花とか、そういうところは写真を趣味としない人はわざわざ撮らないところを、みんなでイイネーとか言って楽しく撮っていく。カメラを趣味としない人でも、有名観光地や観光行為、柳川なら川下りや御花見学や食べた鰻やらは撮るわけだから、写真趣味の(うちたまたま今回ご一緒したみんなの)視点はそうでない人とは撮るところの選択が違っている。でもそれって例えば中学生になって初めてサッカー部やバスケットボール部や、あるいは吹奏楽部や剣道部や、に入部した新入部員が、それぞれのそのスポーツや楽器演奏やらをはじめて覚えるにあたって、それをやるからには当然知っている基礎的なところが、いくら基礎の基礎でも興味のない人は知らないのと同じで、ちょっとだけ写真に興味を持つと、それで昔なら日本カメラやアサヒカメラ、いまならファット・フォトとかでしょうか?そんな雑誌やらその他の媒体やらで写真を、他の人よりはちょっと興味を持って見たりすることなどで「教わって」その結果、教わったことで被写体の選択肢が広がったということだろう。で、思ったのは、一緒に歩いたみんなが撮っているところって、そういう基礎の基礎で教わった共通な選択眼に寄っているってこと。結局はみんな、写真趣味としては「楽しい上に、実は写真趣味にとってはありきたりで予定調和的」な被写体を撮って行く。
 なんて書くと、随分と否定的というかそういう感じのことを書こうと思っているように取るかもしれないけれど、そう単純でもない。と思ったのは、夜に私が撮った写真をデジカメのLCDYUKIさんと見ていたら、彼女が「(同じところを撮ったのに)全然違うものですね」と言ったことで、なんだ、被写体が同じ(同時に同じ場所に立っている)でも同じ雰囲気や同じ指向の写真になるかと思いきや、微妙なアングルや、電信柱を排除するか真ん中に入れるか、とかで写真から受ける印象は随分違う。
 なんだか当たり前のことを書いているように思えるけれど、ということは同じ場所に三脚を並べて富士山を撮る人たちやら、有名観光地の例えば清水寺の舞台を撮っているという行為でも、そこから生れるそれぞれの写真は、無名性に覆われた写真群に「過ぎない」などと、この日録にも以前書いたけれど、そうとも言い切れないのかな。。。
 要するにレイヤーなのですね。被写体選びの思想構造みたいなものが。・・・また後日。