横浜ジャズプロムナード2010


 初めて横浜ジャズプロムナードに行ってきた。

 毎年、このイベントのことをチラシやポスターで知り、行こうかな、と思いつつも用事が重なっていたりなんやかやで行かずじまい。今年ですでに18回目だそう。
 またもや雨。何かを事前に計画をしたり、誰かをお誘いした休日は、今年はいつも雨じゃないかな?先月の益子も雨、先々月の京都も雨。

 中学生のころから洋楽を聴き始めた。そのころにはクラスの中に「フォークグループ」を作る連中も現れ、隣のクラスの「赤い鳥」を倣ったような「四つの空き缶」とかいうグループは、日本のフォークソングを歌っていたけれど、わがクラスのY君とT君の二人組は、サイモンとガーファンクルを倣って、多分だけどグループ名は「TとY」だったし、ちゃんと英語でスカボロフェアとかミセスロビンソンを歌っていた。出発の歌なんて日本語の歌も持ちネタだったけどね。彼等がどうやって英語の歌詞を歌っていたのか、ちゃんと歌詞カードを読んで覚えたのか、レコードから聞こえてくる歌詞を空耳アワー的に聞こえるがままに覚えて歌っていたのか?・・・後者って、中学生くらいの記憶力をもってすれば、そういうこと(意味がわからないまま聞こえるままに適当に覚えること)って「ハナモゲラ語をしゃべるのではなく誰かがしゃべった長いハナモゲラ語を覚える」というような難しそうなことだけど、実は簡単だったのかな。というのも、あるときT君に聞いたら、聞こえるままに覚えているという答えだったような気がするのです。
 書いてあることがジャズプロムナードから遠ざかっています。。。

 中学生のころに洋楽を聴き始めて、シカゴとかCCRとかGFRとか、そういう当時に人気バンドの名前がクラスの中で飛び交うようになると、一方では「英語で歌われている歌詞の意味もわからないのに、洋楽を聴くなんておかしい」とか「それはちゃんと聴いていることにはならない」とかいう一見正しそうな「意見」とか「指摘」が出てきた。私はずるずると友達に進められるままにそういう洋楽を聴き始めた方だったけどそう言われると反論できない感じも持っていたかもしれないな。だからちょっとうしろめたいような。

 極私的には中学のときには最初からブラスバンド部で、それを機にマーチ集なんてレコードを買ったりしていた。特に「上を目指していない」ブラバンというのは体育祭とかの入場行進のためのマーチを演奏するのが取り合えずの一番目立つ活動だったのだ。マーチのレコードには「双頭の鷲の旗の下で」とか「ワシントンポスト」とか「クワイ河マーチ」とか「東京オリンピックの行進曲」とか「史上最大の作戦のテーマ」なんかが入っていた。
 ブラバンのマーチ演奏以外の活動は、それはもう秋の市内中学校ブラスバンド部合同演奏会であって、多分私が2年のときに音楽のしぶちん(教師のあだな)が選んだのがビートルズメドレーだった。
 そんなこともあって、オリジナルのビートルズの曲もラジオで流れてくるのを良く聴いていたが(彼等は解散したばかりだった)、夜の11時ころになるとNHKラジオ第一イージーリスニングを流す、ジェットストリームみたいな番組があって・・・あった筈で・・・そこでポール・モーリア楽団とか、ほかにもレイモンド・ルフェーブルとかカラベリとか、そういう楽団が演奏するビートルズ曲集とか映画音楽曲集を聴いた。
 電気の好きな誰かに誘われて買った半田セットで、これも買ってきた「ゲルマニウムラジオキット」を使って自作したラジオを寝る前に布団の中で聴くのが習慣みたいになっている時期があった。勿論「自作」故にそういう習慣が出来たのだろう。「若いこだま」って番組をよく聴いていた。そのラジオは、電波の強さの影響なのか民放はほとんど受信できずNHK第一と第二しか聞こえなかった。それなのに、ときどき朝鮮語の放送が飛び込んだりするのだった。

 そんなだったからその後大学生になってからジャズを聴いたとき、スタンダードでよく演奏される曲のテーマメロディも、そのころのイージーリスニング体験から知っているものに出会う確率が高かった。。。というのは強引に話をジャズに戻しただけで、そんなことが書きたかったわけではないのです。でもイージーリスニングの楽団って、いつのまにかあまりメジャーではなくなってしまったようだな、そう言えば。どういうことなのかな。

 洋楽のロックなんかを聴き始めたときに、そういう風に「歌詞の意味も判らないのに聴くのはおかしい論」に反論できなかった。そのまま、今でも要するにそういう聴きかたが続いているわけです。英語は五十になっても相変わらず判らないし。空耳アワー的にはビートルズの「レボリューション」なんか「さよならレボリューション」って歌いだしているようにも聞こえて、意味は正反対なのではないか。

 しかし、その「歌詞の意味も判らないのに聴くのはおかしい論」みたいなことへの反論として、作詞者またはその曲の制作者の意図とはずれたとしても歌詞に耳を傾けない(あるいは意味が判らないから自動的にそうなってしまう)ような音楽の聴き方は、歌詞がある曲においてすら、歌詞を理解した聴き方に対して全く劣るものではない、何故なら誰かの表現を誰かが鑑賞するときに制作者の与えた意味と全然違うところでの鑑賞が行なわれて、その鑑賞の結果その鑑賞者の心の中に何か、ありきたりな表現を使うと「さざなみが立つ」とか「何かを思い出した」とかの「作用」の結果が発生すれば、それが全ての表現の一番重要な目的のように思うから、歌詞があってもそれを理解しようがしまいがいいのだと思う。そう考えるようになりまして。

 歌詞のある音楽を聴くときに歌詞を理解してしまうということは、それは一番に表に出てくるのは歌詞の言葉の意味に、否応なくなってしまう。そうなると音楽の他の要素は歌詞の補強にすぎず、それは音楽という広い表現手段の極一部の形態、きわめて文学に寄り添った形態である。
 本当???
 同じ歌詞でもそれがとあるメロディに乗って歌われるとすばらしく支持されるのに、凡庸なメロディだと支持されないことは勿論のことだろう。そう考えると、この狭量な結論は否定されてしまう。

 とかなんとかいろいろと考えて、結局は何もわからない。判らないから音楽は総合芸術であり、しかも、究極の芸術なのだとか言われるのだろう。
 そして私は、うまく理屈を付けられないが、歌詞のある音楽も大好きであるにもかかわらず、歌詞の存在には大枠として否定的観点で考えたくなってしまうのです。

 とある曲が、自分にとっては新品としてそこにあるけれど、買ってきた携帯電話やカメラが「自分のものになる」ように、一番最初に聞いた瞬間から、それは与えれた曲から自分の曲に受け渡されるように思う。誰でも食べられる目の前の料理が自分という個の体に入ることで自分の血肉となって、同じメニューのまだ食べられていない料理と、自分が食べた料理は、全然違うみたいに。初めての曲を聞いて、いや初めてでなくてもいままで聞き流した曲があるとき急に気になりだした、というのも同様かと思うが、人が音楽を(出来売れば初めてその曲を)聴いているときって、それぞれの個人の心の中というのか気持ちというのか、そうか脳の中ってことか、でそのインプット聴覚情報に対して何が起きるのか?歌詞があれば言葉という手段で意味づけをするということが、日常一般的に寄り添っている安心行為としてするすると行なわれるのだろうけど、それを除くとどうなの?

 歌詞の判らない曲を聞くときには歌詞は判らなくてもボーカルは一つの楽器のように働いて、その声というより音、そして楽器の特性のように捉えたときの息遣いや音の不安定さの妙のもたらすものは、曲を構成する大変な要素だ。

 新品の曲を聴くときに脳の中で、楽器のテクニックとか音の高さの正しさとかを評価するような聴き方というのはいかにも通のようでいて最低な聴き方だろう。それは写真に置き換えれば、写真から受ける力に目を向けようとせずに、やれ微粒子現像が上手く出来ているとか、グラデーションがきれいだ、とかいう指摘をするようなことなのかな。そうではなくて、何かの感銘を受けるそのための作品側の力として微粒子やグラデーションが仕組まれているわけで鑑賞者は感銘を受けるかどうかが鑑賞の全てなのだろう。

 横浜ジャズプロムナードでは、最初に川嶋哲郎のカルテットを聴いた。私にとっては新品の曲ばかりだった。新品の曲を聴くときって、その鑑賞者がそこに至る最も最近の記憶(昨日の場合だと、みなとみらい駅からここに来るまでの雨の町の肌触りとか温度や湿度の感覚とか、あるいは歩きながら考えていた直近の家族もしくは仕事における課題についての対応策プランやら、写真に撮りたい光景を写真を撮らずに通りすぎるが故に写真に撮るより残ってしまう光景の記憶とか)とか、だからむしろ記憶というより心の状態とか、そういう鑑賞者側の状態がまずあって、その状態に今聞こえてくる最新の情報としての新品の音楽がどういう風に相関するのか、という一人一人の心か脳か知らないけど、とにかく一人一人の内部で起きたことがあって、それが聴いた瞬間に新品ではなくなっていく、自分の側に受け渡された曲ということだ。新品でない曲にはもしかしたら最初に聞いたときの「思い出」みたいなセンチなことがまとわりついているかもしれないが、それを越えて何かが更新されれば、それはその時点で新品の曲が新たに入って来たということだろう。

 だから聴く方の準備がおろそかだと演奏者に失礼なのかもしれない。準備なんかなくても影響を与えれるのであればそれが音楽の力という反論もあるだろうけれど。

 ところで歌詞というよりどころのない曲を聞いている、例えば川嶋哲郎が二曲目に演奏した「哀歌」というバラッドを聴いているときに、それぞれの人の心というか脳の中で起きていることって、もちろん全部違っているのだけど、それでも一つ二つ三つ、どうなったのかを知りたいな。知りたいけど、そこに言葉を介して説明してもらうと、虚飾が生じるだろうし、言葉では言い表せないことが起きているのだから、だから結局、終わったあとに「よかったわね〜」とか「素晴らしかったわね〜」とか、あるいは「イマイチだったな」とか言い合ったりして確認すること以上のことは出来ないのかもしれないな。
 音楽を聴いて何かの光景が浮かぶということで感想を言うのもよくあることだが、これだって怪しいものだ。光景を浮かべて気持ちを整理しよう(どこかに閉じ込めよう)、そして何やらいままで考えたこともない領域に踏み出すのを抑えよう、みたいな鑑賞者側の安全装置もあるかもしれない。

 川嶋哲郎のあとに、藤井郷子MA-DO、次いで小山彰太のトリオ、更には酒井俊グループ、最後に高田ひろ子(Pf)トリオ+藤本隆文(Vib)。会場を行き来するあいだに靴は雨に濡れて靴下までびしょびしょになってしまう。寝てしまったときもあったけれど、ここにずーっと書いていたように「音楽」について何やらくだらないかもしれないことをつらつらと考えてしまったのは勿論帰りの電車の中以降のことで、音楽を聴いているその時々には、だからころは一言だけ「よかった」としか言えない。

 それでも「光景」等で感想を述べれば、川嶋哲郎が見慣れた日本の、たまたまいま歩いて来たからだろうけれど港湾違いのセイタカアワダチソウなんかがはえている殺風景な中をドラマ仕立てのワケアリの誰かがぽつねんと歩いて行くような光景だとすれば、藤井郷子のグループは観たこともない宇宙空間に一部は恐怖心を持ちながらも連れて行かれ、その恐怖がだんだんと根は変わらないのに楽しげなものに換えられるような「持っていかれる」感じ。何故このグループがこんな無料スペースでしか演奏できないのか?60年代のマイルスグループにも勝るとも劣らない先進性なのではないのか?とかおおげさに思ってみたり。小山彰太のグループは石井彰がこんなピアノも弾くのかと驚いたというのはさておき、これは山奥の誰もこないような山小屋で男たちだけが深夜なにかごそごそとやっているような感じを受けた。酒井俊のパワーは会場の音響設計がひどいとか、そういう不満から始まっている私の頭の中の、その不満のある部分を消し去らずに残しておきながら、不意に全然違うところから鳥肌をわきたたせるようなもので、またもや(8月だかに藤沢のライブで聴いたときに続いて)目が潤む。そして初めて聴いた高田ひろ子の澄んだ音色は、ありがちだけれど冬の冷えた朝のつららを輝かす朝日のようだったり。

 雨の帰り道に、余計に靴をぐちょぐちょにしながらも、コンデジで夜景スナップを続けたのは、音楽の力が活力となったと思われます。

ヒート・ウェイヴ

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For A New Day

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哀歌/AIKA

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