観音崎


 昨年末、茅ヶ崎市美術館で手にしたフライヤーで「藤田修-深遠なるモノローグ」展のことを知った。横須賀美術館の第四期所蔵品展の特集にあたるものだそうである。フライヤーは銀色の紙に、作家の「フォトポリマーグラヴェール」によるmotherという作品の写真を下四分の一くらいに配置し、中央よりやや上に黒字で展覧会名や会期やらの情報が印刷されている。フライヤーが魅力的だから目に付いて、それを手に取り、裏面に書かれた「自ら撮影した(中略)写真を断片的に組み合わせて版画にし、深い黒インクの質感が物質としての存在感を放つ」なんていう解説を読むと、ますます興味が湧く。
http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/josetu/853.html

 それで今日、須田塾のTイトウさんと私で、行ってきました。Tイトウさんとは何時にどことか待ち合わせを決めず、だいたい2時ころには美術館に着くくらいであとは適当に、というラフな約束をしていたのだが、走水(馬堀海岸駅京急)から美術館まで写真を撮りながら歩いて行く途中の地名)の漁村の路地で倉庫や小屋の写真を撮っていたら、向こうにも写真を撮っているおやじが見えて、なんだTイトウさんではないか!まったくもう、迷い込む路地が重なるって街撮りの嗅覚が同類的になってしまっているなあ。
 既に梅が咲いている。いい写真は撮れるかねえ!?などと漁師らしきお爺さんとかが声をかけてくる。海の向こうに富士山が見える。たくさんの船が沖を行きかう。
 駅から美術館までの絵地図が美術館HPにあったので、それをコピーしておいたのを見ると、走水小学校の先の漁港の歩道橋がユーミンの「よそ行き顔で」に歌われた歩道橋「?(なのではないか)」と書かれている。好きな曲だったので久々そんな曲名に出会い、ついつい大方忘れてしまっている歌詞を思い出そうと、携帯電話でネット検索してしまった。このあたりは古くからの漁村と、ベッドタウンの機能と、東京からの日帰りドライブの観光客相手の商売もかな、そういう役割が混じっているような街なのだが、ユーミンの歌が作られたころにはもっと閑散とした空き地が多かったとかなのか?歌では、砂埃の舞っているはずの道は風もなく穏やかだった。♪観音崎の歩道橋に立つ、ドアのへこんだ白いセリカが下をくぐっていかないか♪、という歌詞は懐かしいなあ。あのころの初代の顔つきのセリカはある種の学生(ってよくわかんないけど、要するにユーミンが歌うような学生ってことで)も乗るような車だった。そして学生の車は大抵どこかがへこんでいた。
 今日、歩道橋の周りは工事中だった。歌詞から想像していたよりずっと道幅の狭い道にかかる歩道橋だった。場所も埋立地の広大な空き地みたいなところに広い道路があって・・・みたいなのを何十年も勝手に想定していたが全然違ったな。
 かなり歩きつかれて、写真を撮りながらうろうろと寄り道するからなんだけど。やっと美術館に着く。
 藤田修展は期待通り。rainという作品の細かい縦線と向こうの景色は、不安と期待がないまぜのとき、あるいはまったく正反対みたいだけど、思い通り行かないがでもまだ闘争心はゼロではないようなとき、の気持ちが思い起こされる。ハードで尖っていて闇。マイルスのイン・ア・サイレント・ウェイを聞くみたいな。

 夜、横浜駅でTイトウさんと亞林さんとM本さんと私で、いよいよ近日発売!予定の写真冊子ニセアカシアvol1の最終校正。印刷製本後それをどうするか等の相談、第二号に向けての考え方、などの打ち合わせと称してまたぞろアジアン料理の店で飲み食いをする。
 そのさい、まさにM本さんが、お仕事として、私が藤田修を知ることになったフライヤーのデザインをされたことを知り、驚いた。


時のないホテル

時のないホテル

よそゆき顔で が収録されているアルバム