マウスの反乱


 23日の夜、蒲田の某チェーン展開カフェでニセアカシア2号編集会議。たぶん、これで最終稿に近いものが決まったのではないだろうか。ニセアカシアはHさん、Iさん、Mさんと私の4名で作っている写真冊子でこのブログをずっとのぞいていただいている方はご存知かと思いますが、今年の1月に第一号を発刊した。それで一段落して、4月ごろになってからぼちぼち2号を考えよう、となって、どうせなら1号とは違うことをしようと思うのは浅薄な世の常(?)、写真の見せ方も構成も、文章の扱いも、全部1号とは違うことをやってみることにした。アイデア満載である。
 でもこの一週間は同人の間でメールが飛び交って、喧々諤々の大議論、ケンカあり、誹謗中傷あり、の展開。
 きっかけは16日に一旦決めたその時点の最終稿的なものを某先生に見ていただいたときにいただいた、簡単に言えば「これではつまらない」と言ったご指摘がきっかけだった。しかも私だけそのご指摘を直にお聞きしていなくて、あせりがあったかもしれず、まあ上記のケンカや誹謗中傷の仕掛け人は私だった。
 たぶん、みんなに「どっちでもいい」「しいていえばこっちがいいけど主張するほどじゃない」といった気分が蔓延していて、決めなければいけないことが、たまたまそのときに「これがいいんじゃないかな?」と一応の何かしゃべった人の意見で決定されていた、極端に言えばそういうことだったのだ。そこをするどく指摘されてしまった。その気分がもしかしたら作品の選択や並びにも漫然と感染して、ふわふわというかふらふらというか、どっちつかずのものが出来つつあった。
 それでケンカや誹謗中傷のメールやりとりのあとに、若干の建設的やりとりの段階を経て、今日の編集会議は、編集長H氏の「アルコールを飲みながらテキトーに楽しくやる編集会議からしていけない!」という宣言のもと、カフェの奥の方の席で最初にコーヒーやらサンドイッチやらをちょちょいと飲み食いしてからそれを片付けて、机の上に写真や紙面試作プリントを広げて、ああだこうだ、と意見を言い合う。難しいのは紙面をつらぬくコンセプト的な、あるいは通奏低音的な、色合いを維持しつつふわふわふらふら感を、どこまでしゃきっと見ごたえのあるものに出来るかだった。通奏低音の狙いというか結果として出来つつあるものの特徴自体がふわふわしている面もあるので、それをどんどんしゃきっとさせていくと、この号の持っている色合い自体を損ねてしまう。ではその色合い設定が変なのかと言えば、そうではなくて、少なくとも私はそこは好きだったりする。
 結局、2枚だけ写真が入れ替わり、数枚の写真の大きさや並びが入れ替わり、たぶん某先生のお気に入りとは程遠いが、それでもH編集長の作りたい気分は維持したままより見やすくて面白いものに修正できたのではないか?当初の完成予定7月末を8月末に変更して、最終稿ほぼ完成といった感じになった。

 そのあと、土曜日なので空いているだろうと思って行ってみたら、確かに空いていた中華料理のニイハオ別館へ行く。昨日より胃痛頻発の私は、餃子を一つだけ食べて、胃の様子を見る。ウーロン茶もほんのちょっとだけ飲んで胃の調子を見る。まだ大丈夫・・・とにんにくの芽炒めをちょっとだけ食べる・・・。といった低空飛行だったが、どうやらずっと胃が痛くならずに最後のチャーハンのころには通常分量を食べたのだった。

 写真はその帰り道のスナップです。上も下も。



 さて、タイトルにした「マウスの反乱」。家のPCはもう8年くらい使っていて、相当古いわけだ。みなさんのご自宅PCはどれくらいで買い換えていらっしゃるものなのか?それで最近はPCはしょっちゅう不調である。遅い鈍いうるさい。それでも、指示した操作は無視されたり無理!と言ってじっと黙って引きこもったりされることはあれど、勝手に違うことをすることはない。
 一方最近はマウスが病気であって、これは、たぶんクリックをしたときにどこかの接点式の、A電気とかOロンとかP電子部品とかSHとかTとか、そういう電子部品メーカーのスイッチが入り、その信号がUSBケーブル経由で本体に行っていると素人的には思うのだ(無線マウスではないのです)。そして、そのスイッチが、指の操作としてはワンクリックなのだが、チャタリングを起こしてぶるぶるぶるぶるというか、しゃらしゃらしゃらというか、ノイジーな信号を出してしまうのではないか。アル中の方の指先みたいに。そうするとPCはワンクリック信号をスリークリックとかフォークリックとかに勘違いする。例えばウインドウを最大化しようと思って右上の□マークをクリックすると、それはPCにとって連続した三つとか四つとかの信号になって、最大化→縮小化→最大化→縮小化と受け止められてしまい、偶数で終わればかくのごとく、最大化したのに縮小化して止まる。フォトショップの虫眼鏡ボタンなんかも一回押しただけなのに、連続して三回、四回と大きさがどんどん大きくなり、予想に反した大きさになってしまう。あと、ドラッグしていると途中で離す。文章のある部分をコピーするために指定しようとしてもダダをこねる。
 困ったものです。気が向いたら買いに行こう、あとで。


 原田芳雄(あえて「さん」とか付けませんが)が亡くなった。驚いた、つい先日「僕等の時代」だったか「われ等の時代」だったか、そんな名前のトーク番組で岸辺一徳と大楠光代と話しているのを見たばかりだったが・・・。そのとき原田が何を話していたか?思い出そうとしてもよく思い出せないのだが。
 私が学生時代に名画座三本立てとかに行くと、洋画だとタクシードライバー、邦画だと祭りの準備によく当たって、その二本は三回も四回も、いやもっと何回も見たと思う。祭りの準備、という映画は江藤潤が主演でうっくつした田舎町で暮らしているけどまあいろいろあって最後は電車(ディーゼルカーだったかな)に乗って都会へと出て行く、そういう青春映画だったと思うが、竹下景子の裸の胸が見えたとか見えないとかでも、あるいはその胸が吹き替えか本物かで、学生だった私がいた大学の研究室のみんなが議論したりした。

オレはあれはホンモノだと思うな。
そーかー?あやしいなあ。だって顔とおっぱいが同時に映った場面なかったよ。
えー!あったって。絶対。
・・・みたいな。

 その「祭りの準備」で田舎に閉塞されてテキトーに生きている江藤潤が演じたタテオちゃんをいつもからかっているのが原田芳雄が演じたあんちゃんだったが、強烈に印象に残っているなあ。腹巻かなんか巻いちゃってたかも(記憶が曖昧だから勝手に作っている?)

 あるいは「ざわざわ下北沢」で演じた役者もよかった。下北沢ってとこはね・・・と多分ちゃんとセリフが決まってないで話す場面とか。

 あ、「赤い鳥逃げた」でギター弾きながら「愛情砂漠」を歌うところも。そういえば原田芳雄が誰かの深夜放送でギター弾き語りをしたのを聴いたこともあったな。りんご追分、なんかを弾き語りで渋く歌っていた。

 代表作はここに挙げたものとは違うのかもしれないけど、かっこいい人でした。