ヨコハマトリエンナーレ2011

ヨコハマトリエンナーレのフライヤーを、先月、クレー展に国立近代美術館に行ったときにもらってきた。小さな字で印刷されていた出品作家リストを、眼鏡を外して目をぐぐぐっと近付けて読んでみたら、ほとんど誰も知らない。横尾忠則とかマンレイとかオノヨーコ、写真家では、アラーキー野口里佳野口里佳の展示が見たいと思ったが、そのうちに忘れてしまった。ところが、つい数日前、最新号のカメラ雑誌を読んでいたら、あの手この手の現代美術の展示の中で、写真家がどんな展示をするか興味深い、といったことが書いてある記事に出くわした。
 もう十年くらい続く横浜美術館を中心にした一大イベントだそうだ。私は初めて見に行くことになる。十年もうっかりしていた、ということか?
 会場は横浜美術館日本郵船海岸通の元倉庫(Yokohama Bank Art)で、連携企画の黄金町バザールと、新港ピアで開催している新・港村も入れると 計四ヶ所を回ることになる。1日で全部をゆっくり回るのは事実上は不可能に思える。チケットは横浜美術館日本郵船倉庫それぞれ別の日に入場可能になっている。だから二日間かけて回ることもできる。ということを帰宅してから知った。見て回っているときには、とにかく今日中に回らなければいけないと思いこんでいた。

 動画作品がたくさんあったから余計に時間不足を痛感。チケット売場で、別の日にも再入場できますか?と聞いたのだが、出来ません、というだけの答えだった。そのときに、但しそれぞれの会場は別の日に入ることが出来ます、とか言ってくれればいいのにな。しかし、こういうのは私の、特に最近になって年を取ってきたせいなのか、増えていると実感せざるをえない「思い込み」のせいもある。こうだ、と早合点して、他の可能性を当たろうとしない、というより、他に可能性があることに思い当たらなくなって来ている。若い方が誰か年配の人のことを、言っても聞いてくれない、言っても判らない、と言う。そういう対象の後期オジサン化現象って、実のところ若い人の提言なりを聞いて、中身を吟味したうえで却下していればまだ真っ当であって、実は強固な思い込みで構築された動脈硬化みたいな壁に耳を塞がれているような感じだ。情けないですねえ。すいません、後期中年というか前期老人というか、そんな自らの老化に思わず愚痴ってしまった。脱線しました。とほほ。

 ヨコハマトリエンナーレ2011は見応えは十分。とても楽しめた。みんなが知っているところではたとえばオノヨーコの迷路作品はじめ、鑑賞者参加型の作品が多い。
 光に透かせると内側に書かれた字が見える、どうやって作るのかが不思議な卵(の殻)が数十個、その卵の数よりたくさん置ける卵パックが敷き詰めてあって、そこにランダムにその卵が置いてある作品(作家名がわかりません、すいません)は、その卵を鑑賞者は手にして、裸電球に透かせて、それから卵パックの好きな位置に戻すことができる。多分、作者は、鑑賞者が中に書いてあった字をつないで、並びに意味を持たせたり、卵パック上のどこに卵を置くかにより卵全体が作り出す模様の変化を期待していて、即ち、鑑賞者参加型の偶然表現を意図している。と、思ったから手にした卵を、ほかの卵が集まって置かれている敷き詰められた卵パックの中央付近からすこし離れた場所に置いてみた。わたしが新たに置いた場所を中心に、次の鑑賞者がその新たな場所に卵を戻せば、敷き詰められた卵パックのなかで卵の占める場所がダイナミックに変化する。そんなことを期待して。しかしこれも私の思い込み?その後の様子を見ていたら、会場監視のオバサンがすーっと来て、私が端っこに置いた卵を中央あたりに戻してしまった。きれい好き、片付け好きな方なのかな。それとも、手にした卵は卵パックの元の位置に戻すべし、みたいな注意書きがあったのを、わたしが見落としていたのかな。
 高さ二メートルくらいの砂山のてっぺんにスプーンが一つだけ、突き刺してある作品は、その横でスプーンの製作過程のビデオが流れていた。見ると磁石を手に二人(たぶんこの作品の作者)が冬の砂浜で砂鉄を集めている。その場面がずっと続いて、その砂鉄集めが朝から夕方までかかったことを明らかにする。そしてその砂鉄を使った鉄の湯をスプーンの鋳型に流し込み砂鉄のスプーンが出来上がる様子がずっと続く。そのビデオを見ると、最初、なんだ?と思ったスプーンの由来がわかり、由来を知ると愛着が沸く。この作家の意図はなにか?由来を知ることで愛着や理解のようなものが変化することを知らしめたい、という意図か?それともビデオはあくまでサービス(ときには余計なお世話)で、砂山とスプーンから各自なにかを感じてください、という意図か?はたまた、ビデオでわかるローテクな製作過程、U字型の磁石による砂鉄集めなんていう小学生の理科の実験みたいなやり方から鑑賞者になにかノスタルジーを起こさせたいという策略か?いやいやここに私が書いたようないろんなことを考えるスタートになれば成功なのか?

 という風に感想を書き連ねて行くと、止まらなくなりそうだ。
 それにしても、鑑賞者側の作品への接し方の変化もあるのだろうが、なんとまぁ新しいアート作品というものは、難解を通り越して、エンターテイメントを身に付けたことだろうか!二次元作品の写真やいわゆる当たり前の絵画、あるいは三次元であってもいわゆるコンベンショナルな彫刻作品に対して、時間軸での作品側の変化や、時間軸の中で鑑賞者がもたらす偶然性は、もちろん数十年前から前衛表現の拠り所だったのだろうが、繰り返すがまぁなんとアートはエンターテイメントなのか、と思った。
 あ、もちろんこんな感想はちょっと現代アートを知っている方からすれば稚拙な感想なのかもしれないですね。でも正直に感想を書きました。

 しかし多分、もっと最先端の表現の極北では、一般にはまだまだ理解不能な新たな何かが作られているのだろうな。
 そんな中で、写真展示は旧態然とした鑑賞の仕方で、鑑賞者参加型のエンターテイメントに乏しい。しかしそれでも、見ていると客はみんなすーっと通りすぎて行くだけだったが、野口里佳の鳥と人の新作は悲しくて清々しくて凛として、一服の清涼という感じだ。上述してきたようなエンターテイメントのアートが、ともすると、楽しいけどすぐ飽きてしまうし、飽きると突然に幼稚でくだらなく見える、という面と紙一重なのに対して、写真の力を確認できた。

 日本優先海岸通倉庫から無料バスで新港ピアへ。浅田政志や梅佳代の写真展をやっていた。なかなか。
 さらに無料バスで横浜美術館。最後に同じく無料バスで黄金町バザールへ。龍宮旅館美術館で、5月に松本でお会いしたL-Packのお二人に会う。この美術館の一階の突き当りのドアから外に出て、細い軒下の通路を抜けると、中庭みたいなところに小屋があり、その小屋にはしたの写真のように緑色をおびた石英?が一列はめ込まれている、これも作品か。もう夕方だったが、もし快晴の真昼間だったらこの半透明の石を通過した光がなにか美しい模様を演出するのかもしれない。
 もと連れ込み旅館だった建物はその当時の装飾物などがリアルに残っている。風呂にはガラスの裸婦の絵があったり(これも下の写真)
 外に出ると、もはや外は暮れなずむ夕方。黄金町の京急高架線下にずらりと並んでいたいわゆる特飲街の娼窟は浄化活動であらかた廃止され、そこにあらたなアートのムーブメントが起きていて、そういう店のあとがギャラリーになったりアーティストの工房になったりしている。それはそれで一つの流れで頼もしいが、一方で街の傍観者的な視点に立つと、昭和の怪しい街が消えていくのはそれはそれで残念だったりもする。歩いていると、色街だったころからあったのだろう古くて壊れかけたような飲み屋やバーが、まったく消えてしまったわけではないようで、そのほんの少しだけ残った街角には、ほんの少しなのに色濃くなにか怪しい時間の流れが漂っている感じがした。一番下の店なんかは、浄化前からあったに違いないですね。

 そして、だんだん夜に近づき、下の写真のような青い光なんかがともり、そういう古い店の中から初老の女性がカメラを構えるこちらを睨みつけ、猫が店から漏れた光の中で毛づくろいをし、どこからかテレビの音が漏れてくる。空を見上げると、さっきよりもっと暗さが増したけどまだ黒ではない夜空のはじまり。
 といった時間の経過の中で街が息づくそのリアルな、いま目の前にある本当の街を見ていると、アートが鑑賞者参加となりアクシデントを好み、偶然に寄り添い、時間の流れの中でそういうことを表現としているのだとすると、その行き着く先はなんのことはないそれは現実の断片すべてが即アートということになってしまうのではないのかしら、などと思ってしまう。そして今日見たすべての作品の中で、この黄金町〜日ノ出町の夏の暮れ時の街の変化が、いちばん素晴らしいものだったと思ってしまった。

 今回の大震災を受けて、ヨコハマトリエンナーレの中にも、被災者のためにアーティストができることは何か?といった視点から作品を展示しているものもあった。こういう機運(被災者にとって物質的援助ではない精神的援助、それも、みなが力を合わせるという具体的物質的ではない意思表明をするというような機運)は従来もあったのか?と思いながらいくつかの展示を見たこともありました。