須田塾9月例会 中目黒 六角橋


 アボカドが好物である。先日、雑誌「群像」で石田千の新しい小説「きなりの雲」を読んだ。その冒頭でアボカドの種から芽が出てくるエピソードが出てくる。一見のところ大した変化のない日常のようでいて、物語の最初と最後ではがらりと日常は変わっている。アボカドはその時間のひとつの象徴のように、物語の最後には少し成長している。そのアボカドが好物で、ときどきスーパーマーケットで買ってきて食べる。そのたびにこの大きくて丸い種を植えたら発芽するものだろうか?という疑問がよぎっていたが、だからといって調べたわけもなく、知らないままだった。小説が本当なら芽が吹くことがあるのだろう。
 そのアボカドは緑からすっかり茶色に変わっていないと、食べ頃ではない。ということだけなら選択の失敗はないはずだが、茶色の中には熟しすぎていて、いざ切ると肉のなかに茶色い筋が出来ていたり、柔らかくなりすぎて茶色に変色していたりするものもある。だから悩みが発生する。熟しているかどうかを判定するのに、若干指で押してその表面の弾力を確認してしまうこともあるのだが、みながそうしていると中身の肉の表面は早くに茶色くなってしまうような気がするからよくないのではないか?
 ときどきまだ緑が残っているのに、柔らかく感じるアボカドがあって、何度もそれで失敗しているのにその失敗を忘れてしまっていて、そういうのを食べごろと判断して買ってしまうことがある。先週もそれで失敗した。固いとなんとかしようと、切った身を試しに電子レンジで加熱したりしたこともある。しかし、えぐぐて食べられない。
 一個二百円であるとして、四回に一回は熟しすぎで失敗し、四回に一回は固すぎて失敗している。それくらいの低い成功率だ。だから私にとってのアボカドは一個二百円ではなく四百円くらいになってしまっている。

 先月は予定があって行けなかった須田一政写真塾の例会に出席した。

 そのあとTイトウさんとM本さんと三人で中目黒に行き東塔堂書店兼ギャラリーで高橋恭司の写真展を見たり古書を眺めたりした。さらに東横線で白楽へ移動。六角橋商店街一箱古本市や路上ライブなどのイベントをやっているのをぶらついた。
 まだまだ昼間は暑いのだが、夜の中目黒や六角橋には夜風が吹いていて、それはそれは気持ちがよい。そういう夜に大勢の人が外に出てわいわいがやがやと、でものんびりと、そういう中に属しているのも、それもまたまた、それはそれは気持ちがよい。