先週、横浜を歩いていてふと入ってみた県立博物館の、ほかの美術館や博物館で開催中の企画展のポスターやちらしが置いてある場所で、浜松市美術館で開催中の「風の記憶 山本一樹展」というポスターに目が留まった。20日まで。そこで今朝、茅ヶ崎6:44発の下り普通電車に乗って、途中沼津で浜松行きに乗り換えて、はるばる浜松まで行ってきた。浜松ではこの展覧会を見た後に浜松城に寄り、それからTournez La Pageという「今風」の作りの「昔風の聴き方も可能な」ジャズ喫茶でダッチ珈琲を飲み、電車で島田まで戻りいちど行ってみたかった大井川にかかる木造の、人と自転車用の「蓬莱橋」を渡ってきた。さらに静岡でも途中下車して、静岡市美術館で森村泰昌モリエンナーレ「まねぶ美術史」も観てきた。電車のなかではジオノ著「丘」を読んでいた。
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山本展。入場して最初に掲げられたご本人のあいさつ文によると、一番古い記憶を具体的に説明したあとに「その記憶が本当なのか、後から様々な記憶がつなぎ合わせられて作られたものなのかは定かではないが、自分の原風景の一つであることは間違いない」と続く。そして、そういった「自分の感性を刺激し、断片的に記憶される」感性に触れた風景の「何かが自分の感性を刺激し、断片的に記憶される」と言っている。そして作品を制作するということは「蓄積された風景の断片を確認している」感じなのだと書いてあった。
作品名「東からの風は静けさを連れてくる」からはじまり、最後の方には「夏の終わりに風は西から吹く」という作品もある。東風と西風の、そういう感じに共感を呼び起こされる。金属作品で、まさに風景の断片を作っている。丘や木、電信柱や道、ベンチ。それから建物。階段や窓やドアのある堅牢そうな建物だったり。そういうものがぽつぽつと置かれている。いま風に端的にいえば、「カワイイ」感じがする。メルヘンチックな。丸められた記憶ゆえに。シンプルに、消えなかったものだけがそこにあるのか。
タイトルもいろんなことを想起、とより共感を促されるようで面白い。
丘のように地面にゆるやかな凹凸がある作品も多くて、ちょうど読んでいた「丘」という小説と響き合って見えるからその偶然が得した気分。錆はどこまで許容して展示時期を決めているのか?新たに展示するときに錆の具合まで調整するのか?
それからライティングも重要に思える。電信柱や木の「影」をどれだけ長くするか。記憶の原風景の再現だとすると、暮時のような長い影が出来ている方がノスタルジックに見えるだろう。でもそれでは安易だろう。ライトの位置をゆっくりと動かすような展示があれば余計面白いだろうなと思ったりもしました。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/artmuse/exhibition.htm
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Tournez La Pageは広い。明るい。入口近くには四人席などがあり奥へ進むと数段の階段を下り、正面にどでかいスピーカーシステム。そのまえにはスピーカーに向いた椅子席が並んでいる。入ったときには誰もお客さんがいなかったので、真正面の席に座る。そのうちお客さんがどんどん入ってきたので驚いた。http://tournezlapage.jp/index.html
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大井川河川敷の少年野球
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蓬莱橋より
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浜松城ないに作られた、どこのお城にも必ずある、江戸時代のその町のミニチュア模型。こういうの好きです。
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(蓬莱橋はこんな橋です)
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