風景


 朝、目覚まし時計を掛けて寝たとしても、その音で目覚めることがほとんどない。二十日に一回くらいかな。あとの十九回は設定した時間から一時間前から一分前までに目が覚める。目が覚めると目覚まし時計を手にして、時間を確認してからアラームスイッチを切る。切るものの、また寝てしまうのを恐れて、テレビのスイッチを付ける。もう一つは、枕元の電灯をつける。明るくなって、アナウンサーの声がすれば、もう一度眠ってしまうことは、私の場合はないのだ、いまのところ。
 平日はNHKの「おはよう日本」が付く。付けっ放しで顔を洗ったりトイレに行ったり、気まぐれでときどきは血圧を計ったりもする。だいたい起きてから35分で家を出る準備ができる。夜はテレビを見ない日も多いので、一日のうちでテレビを見る、もしくは聞き流している、時間は最低で35分である。そうだった、この冬は、連続ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帳」を全回見た。
 ところで土曜日曜は目覚まし時計をセットしていない。いなくても平日の延長で、早く起きてしまう。平日が5時に起きているとすると、土日は6時とか6時半ってところだ。

 先日の土曜日だったか日曜日だったか、起きてからいつものようにテレビを付けたら大林宣彦監督がインタビューを受けるかなにかで話している、その最後の数十秒が映った。その最後のところで大林監督は
「風景の手前に素直で賢い人間がいるから、××師匠の「芝浜」に惹かれる。風景だけでなく、仲よくなろうとしている人たちがそこにいるから、それを撮りたい」
といったようなことを言っていた。(聞いてすぐにスマホのメモ欄にメモをしたのだが、すでにおっしゃたことの何割かは間違えているかもしれない)
 ××が誰だったのかは聞き取れなかった。落語の師匠だろう。
 風景だけでなく人もいる、人もいる風景を撮りたい、それが物語たることのスタートなのかもしれない。

♪僕がよぼよぼの 爺さんになったならば 僕は君を連れ この町を出るんだ
きっと待ってるさ 故郷の山や川が 生まれ育った あの土の匂い
僕たちが行くところ 僕たちが住むところ 故郷のあの丘さ あの雲の下さ♪
1976年か77年ころのセンチメンタル・シティ・ロマンスのライブ盤に入っていた「風景」という曲の歌詞。(もとは中塚正人って方の曲だそうです)
 大林監督の話からこんな曲のことを思い出した。

 ところで、フイルムカメラを使っていると、最後の数枚を撮り終わらずにある日が終わって、ときにはその数枚を撮り終えずに巻き戻して現像してしまったりしていませんでしたか?次にいつ撮るかわからないし、撮った写真を早く見たいし。それで、今回15本目の最後に二枚分だけフイルムが残ってしまったから、なんとなく自分の書棚を撮ってみたりして消費した。そんなこともやりませんでしたか?
 それが上の写真です。いろんな写真集が写っている。真ん中はニセアカシア1号のときの最初の試し印刷をMさんからいただいたもの、それが挟まっている。