ラジオで聞いたこと

 5年振りか、もっと経っているかもしれない、久しぶりにフイルムカメラをこの10月に使ってみました。36枚撮りフイルムを5本撮り終えて、まとめて現像だけでなくデータ化もお願いして、昨日、そのデータをダウンロードしました。上と下の写真は、大磯町の駅近くにあるカフェ(夜は飲める、定食もある)で撮りました。フイルムはコダックのISO400の36枚撮りネガカラーで、カメラはライツミノルタCLで、中国製と思われる安価なライカL39マウントをライカMマウントに変換するアダプターを介して、キヤノンのスクリューマウント時代の50mmF1.4で撮っています。アダプターが安価だったこともあり、バックフォーカスが正しく出るように、二つのマウントのフランジ距離が制作されているのか不安だったのですが、開放でもピントはちゃんと合っているようです。とは言え、やはりこれは撮るときに「試写」って気分もあるし、マニュアルフォーカスとマニュアル露出であれこれ考えたりするために時間が掛かるしで、なんとなくスティルライフ、静物の写真になりがち。ま、そんな感じですが、もう五本くらいフイルムが買ってあるので、ときたま使ってみようと思っています。

 ラジオが写っている。いまも自家用車で会社まで運転している早朝にはカーラジオを聞いて行くことがある。NHK第一放送の「まいあさ」で、ニュースと天気予報と、全国各地にお住まいの一般から募ったレポーターのうち二名の方からその地方のトピックスを聞くコーナーがあり、週を通してひとつの健康にまつわる話を医師が解説し(五十肩についてとか、更年期について、など)、曲が掛かり、今日と言う×月×日と同じ日に過去にあった出来事が話され、メールが読まれる。復路はUSBやSpotifyで音楽やポッドキャストを聞いてくることが多いのですが朝はラジオが多い。

 ラジオに(テレビにではなく)かじりついて一生懸命スポーツの生中継を聞いて一喜一憂したことも多々あった。1960または70年代の冬のオリンピック大会でジャンプ競技だったかスピードスケートだったかなの放送を深夜に布団のなかで小さなボリュームのラジオに耳をくっつけて聞いていた。野球はラジオでも状況がよくわかったがJリーグが始まって、最初の頃はラジオで試合生中継をしていたけれど、あれはもうなにも伝わらないですね。ただもちろんライブでいま試合があって、大勢が試合に沸いているという臨場感はそれでもわかった。

 中学生高校生のときには当然のように深夜放送を毎日毎日聞いていた。

 いちばん覚えているのはもっとずっと前のケネディ暗殺のニュースで、朝のラジオのニュースで父が東芝製のトランジスタラジオで聞いて、驚いて話してくれた。私は6歳だったのにいまでもはっきり覚えている。覚えているのは、そのときに自分が見ていた朝の明るい陽射しが庭に降り注いでいるのどかな休日の日常風景だ。調べると現地時間の金曜日の真昼間がケネディ暗殺事件の起きた時刻だったから、それは日本の朝早くだったのだろうか、少し時間差があり、例えば朝の7時のラジオで父が聞いたのだろうか。

 ユーミンにジャコビニ彗星の流星群が起きなかった日のことを歌った曲がある。あの晩、このブログに以前も書いたと思うが、ナショナルのクーガーというでかいウーファーを積んだトランジスタラジオを持って徹夜をして友だちと二人で空を見ていたが、歌でも歌われている通り、流星群は見えなかった。深夜を通じてラジオもニュースを流していたと思う。どこどこのだれだれさんに電話をして、流星は見えないねえ・・・なんていうライブな状況報告だったのだろう。

 ラジオは何万人、何十万人の人が同時に聞いているけれど、なんとなくスタジオで話している一人または数人の人に、私だけが加わって、ひっそりと話題を共有しているような親近感を錯覚するようなときがあって、それがいいのだと思います。