新子安駅から横浜駅まで


 1/31金曜日。会社の帰り道、京浜東北線新子安駅で下車。横浜駅まで写真を撮りながらぶらぶらと歩く。2時間の散歩。駅間距離5キロメートル弱。途中、瑞穂埠頭のBar Stardustのところまで寄り道して、こんな写真を撮る。その寄り道分も入れると6キロメートルくらい歩いただろうか。

 2/2追記)
 先週だったか先々週だったかの週末に、会社の二つ先輩のHさんに誘われて、新子安の安い中華料理店へ行った。JRの駅の改札抜けて、すぐに京浜急行の線路を渡ると、数十メートルで片側二車線に幅の広い歩道もある第一京浜という幹線道路に出るが、この数十メートルのあいだに大きな暖簾を下げた大衆酒場「諸星」や洋食の店があるし、第一京浜と平行にある路地には、立ち飲みらしき焼き鳥屋や中華料理店(ここがHさんのオススメの店だった)などが並んでいる。夕方になると、第一京浜の向こう側にある京浜工業地帯の会社から仕事帰りのサラリーマン諸氏が、これらの店に立ち寄って行くのだろう。
このブログを読んでいただいていると思う、福岡や大阪や京都にお住まいの友人知人の方には、あるいは私は知らないけれどもしかして読んでいただいているかもしれない東北や北海道の読者の方には、新子安と言われてもよく判らないですよね?横浜と東京のあいだには、京浜東北線というJRの電車が、東海道線とか私鉄の京浜急行線とかと一緒くたになって走っていて、そのあいだ、横浜から東京へ向かって、横浜、東神奈川、新子安、鶴見、川崎、蒲田、大森、大井町、品川、田町、浜松町、新橋、有楽町、東京、と、所要時間3分くらい間隔で駅がある。この間、とくに東神奈川から川崎あたりまでの線路より海側が京浜工業地帯の中心・・・でいいのかな。蒲田の海側には羽田空港がある。鶴見からはJR鶴見線なんていう盲腸のようにこの工業地帯に入っていく小さな線もあったりする。鶴見線の終点の海芝浦駅は、改札を出ると東芝の敷地内だから一般の人は改札を出ることができずに、ホームから海を眺めて引き返す電車に乗って戻っていた。今もそうなのか?笙野頼子の小説に、この海芝浦駅の出てくる、不可思議な話があった気がするな。
そう、今月号のカメラ雑誌(日本カメラだったかアサヒカメラだったかどっちか忘れちゃったけど)に、須田一政塾で一緒だった古橋さんが、たぶんこの京浜工業地帯の、どこかの駅に通って撮った、白黒の雑草のある写真のシリーズが掲載されている。ああいうテツドウグサやセイタカアワダチソウやブタクサなんかの雑草が、ちょっとでも空き地があると見れば生えてくるようなところには、緑のフェンスやコンクリートで護岸が固められた用水路や打ち棄てられたままなのか再稼動するのかわからないようなショベルカーがある。何をくるんでいるのか判らないがときどきそういう雑草の空き地にブルーシートで覆われたものが置かれている。飲み物の自動販売機があって、味も素っ気もない建材で出来ている出張所とか書かれた事務所があり、作業服の太ったおじさんがいる。カラスとヒヨドリムクドリとスズメがいる。ごくまれに雑草の中に漫画週刊誌が落ちている。さらにもっとごくまれにその週刊誌のグラビアの水着を着た女の子のページが見えたりする。もっともっとごくまれに、その写真は水着ではなくてヌードのときもある。過去二回だけそういうのを見つけた。57年生きてきたうちに。

 だいぶ書いていることが「新子安」から脱線してしまったが、そのまま書き続けると、雑草の中で見つけたヌード写真の一回目はなんと小学生のときだった。仮に小学校の五年生だったとすると1967年か68年のことであり、そのころに「どの程度」週刊誌にヌードグラビアが当たり前に掲載されていたの判らないが、よってそれがどういう類の本だったのかも判らないが、ある日、家の近くの袋小路の突きあたりにある、漆の木が生えているブッシュの中にばらばらにページが解けた雑誌を見つけ、それがヌードグラビアだったのだ。私一人のときではなく、何かの遊びの最中に誰かが見つけた。当時一緒に遊んでいたのは、ソウちゃんかサンノか、マッチャンかキシくんか。何人いたか判らないが、小学生の男の子が数人、雑草の中にヌード写真を発見して、立ち尽くし、おずおずと手を伸ばし、皆で頭をくっつけるようにして、代表の誰かが手にしたその写真を食い入るように見つめて、ごくりと唾を飲み込んだ。なんてことの詳細は覚えていないけれど、まあ一般的な想像からするとそういうことだったのだろう。
 それで、子供だった私たちは(なんだか「私たち」って感じでもないが、俺たちでもないし、正解は僕達なのかな)そのヌード写真を、たぶんひとつのページに何枚かの写真が散りばめられたページや、一つのページを全部使って一枚の写真を載せているページがあって、裏表もあったと思うのだが、どういう風にやったのかを忘れてしまったのだが、みんなで分けたのだった。いま思うとあのグラビアのモデルさんは日本人ではなかった気もするな。黄桜酒造のイラストに出てくる河童の女性の乳房は、鎖骨の下から乳首に向けたカーヴが緩やかに下向きにふくらむ円弧を描いているが(たしか、いま確認したわけではないですが)そのときにみんなで拾った写真のモデルの乳房の鎖骨下から乳首に向けたラインは、円弧ではなく直線に近かったようだ。要するにダイナマイトボディだったのだろう、今思うと。
 さてみんなで「分けた」ヌード写真の自分の「とり分」というか「分け前」というか、それが具体的にどんな写真だったのか、何枚だったのか、覚えていないが、上記のごとき乳房が写っていたのだろうと思うのだ。その直線か曲線か、というのを覚えていることから推測するに。
 問題は、その自分の物になったヌード写真をどこに保管するか、ということだ。家に持ち帰り引き出しの奥に仕舞うのは、きわめて危険(発見される確率が高そう)に思えた。かといってランドセルの中に仕舞っておくとかも考えられなかった。学校で見つかったら大変だ。
 それで悩んだ末に、自宅の庭の東側の隅にあったイチヂクの木の根元の雨に濡れ難いあたりを掘って埋めた。何日かして掘り返してみたら、思いのほかそのままに写真は出てきたが、少し土で汚れていた。そのあと雨が降った。直接そこの地面は濡れないと思っていたのだが、それは比較上濡れ難いというだけだったらしく、写真は雨に濡れてぶよぶよになっていた。なんだ、悔しいけどもう駄目だ。そう思って破いてくしゃくしゃに丸めてしまったのではなかったかな。
 他の連中が分配されたヌード写真をどうしたのかわからない。なぜかみんなそのことはもう話題にしなかった。

 という風に話がすっかり脱線してしまった。新子安には十年くらいまえまであるいは数年前まで、ビクター社があって、仕事で行ったことがあった。そのころ第一京浜を越えてビクターの方へ歩いて行くと、西日の中にぽつぽつと貨車が置かれた操車場や引込み線があったように思うが、これまたなにか記憶が混同してしまっているかもしれない。
 ビクター社の守衛所で入門許可をもらって中に入ると古い社屋があり、階段にはスポーツクラブのポスターなんかが貼られていた。
 そんなことを思い出して、いまもあの線路はあるのかしらと思い、そっちに行ってみたら、もう線路はなくて、ちょうど会社帰りの大勢のサラリーマンの流れに逆らうように一人だけ歩いて行くことになった。なんだか会社名も変わっていて、ビクターがJVCケンウッドという社名になっているのは知っていたが、そうではない新しい社屋の会社もそのあたりに出来ているようだ。その新しい光景は、対抗して歩いてくる人たちがみんな新しく始まった夜のなかに真っ黒なシルエットで俯いたりスマホをいじったりしながら足早に歩いていることで出来ていて、その全体を照らす街灯が、どこもかしこもではなかったけれどナトリウム灯のオレンジっぽい色合いだったということもあって、こんなのはこっちの勝手な感傷のせいもあるのだろうが、ひどく殺伐として見えた。突き当たりが会社の正門になっていて、それ以上は進めず、今度は会社帰りのサラリーマンの流れの中に入って戻り始めると、すぐ後ろの二人連れの話している声が聞えてきて、それが当たり前の家族との休日の予定のことだった。そうすると、そんな殺伐だと感じたことをすぐに反省したくなる。
 こんな風に新子安で降りて歩くことを思いつき、それを実行している私自身、黒いスーツに黒いコートを着て、黒い革靴に黒い書類カバンを持ち、違うのは黒い一眼レフカメラを首に提げている点だけで、それでも今日が金曜だからこうして寄り道をして歩き始めている。