少年は淋しそう

 10月10日月曜日、国民の休日。東京駅周辺数か所で写真の展示を行っているT3フォトフェスのひとつに、新しくできたミッドタウン八重洲の地下1階の壁に森山大道が東京の夜をスナップした写真をスライドショー投影しているというので見に行った。春に東銀座のAKIO NAGASAWAギャラリーで森山大道のスライドショーを観たが、枚数も投影面数もAKIO NAGASAWAの方がずっと量があって圧倒的だったから、それに比べると小さな展示だった。それでもやはり感動する。同じようなただ一枚の写真なら誰だって撮れるかもしれないけれど、連作で見ると、写真家が夜の街を流しながらどこを見ているかが判るから、それと同時に喧騒が聴こえたり、ふと、遠くの観覧車や高速の前方のカーヴを観ながら自分の目下の課題に溜息をつくようなデジャヴを感じたりするのだ。

https://note.com/t3photo_tokyo/n/nd90406d51bc3

 だけど、東京駅周辺ではあんまり写真を撮らなかったし、ここに載せるような成果も見当たらなかったので、今日選んだ上の写真は昨日の大磯の港です。水揚げ場に少年が一人、船は去って行く。右側の柱はなくてもいいですかね・・・。

 上の写真を撮った昨日の午前から、今日の午後に東京駅周辺を晴れてきた空の下、気温は予報ほどには上がらなくても、湿度は高く、なんだかとても息苦しいと思いながら歩いていたその時刻までの24時間のあいだに、雨が通り過ぎて行った。今日は少し頭が重い感じがする。

 誰かと今まで一緒にいて、ここから先で別れるというときに、私が向かうべき方向に歩き出す前に、誰かが向かうべき方向に歩き出し、しばらくその後ろ姿を見ている。誰かより先に自分が進み始め自分の後ろ姿を見送られるより、去って行く後ろ姿を見ている方が好きかもしれない。そんなことあんまり考えたことないけど、写真の少年を見ていて、ふとそう考えた。見送られることと残ることと。でも船はまた帰って来るだろう(正確には、少年が見送った大人の誰かは船を所定の位置に係留したら小舟で防波堤に戻って来るだろう)。見送っただれかも、見送ってくれただれかも、次の約束があれば、また会えるという安心が得られる。それでも少年は淋しそうだ。

PS と書いたものの、これ、フィクションで、少年が待つ誰かが船にいるのかどうかも実際はわからないですが、そう想定してみました。