冬の夜 小津の「早春」


 夜の伊勢佐木町をふらふらと歩く。

小津映画でいちばん多く繰り返して観たのは、もちろん家でDVDを再生して観るのですが、それは佐田啓二岸恵子淡島千景がメインキャストの「早春」で、たまたまそのDVDが、積んであるDVDのタワーの上の方にあるから、もっと下の方か、あるいは本棚や引き出しの何処かに紛れてしまった他の作品よりも繰り返して観る回数が増えたのだ。小津映画は小津映画で、小津映画を観よう!と思うことはときどきあるが、小津映画の「あれ」を見ようと言う風に、具体的な作品が観たい、とはあまり思わない。あー、なんだかわかりにくい文章を書いているなあ。小津映画を観たい!とは思うが、小津の「東京物語」を観たい!とか、「麦秋」を観たい!とか、「浮草」を観たい!とか、「東京暮色」を観たい!とか言う風には思わない。
と、こう書いてみると、それぞれの作品の色合いみたいなことが思い出され、やっぱり私は映画のあらすじとは関係ないところで、何故か痛快な感じと言うか爽快な感じを受ける「浮草」がいいな、とか、たまにはあのどーんと暗い「東京暮色」も見直そうかな、などと思う。
だから、観たいと思うきっかけが具体的な作品名を指し示すようなことなら、小津のあれを観たいと思うに違いない。そう言うこともあったかもしれないのだが覚えてなくて、いまの私の感覚では、小津映画(であればどれでもいいから)観たい!と思うことがときどきある。
それで、繰り返すが、DVDを探し始めると、必ず最初に「早春」が出てくるので、それを観ることになる。
私のそのDVDは、十年かもう少し前に小津の生誕何年だかに合わせて、NHKBSが一挙に放送したときに録画をしたものだ。もしかすると最初はVHSテープに録画をして、そこからDVDにダビングしたかもしれない。メディアの変遷に合わせて。
年末だかに「早春」を四度目か五度目か観たときに、主人公の佐田啓二の家に、夜、不倫相手の会社の同僚を演じる岸恵子がやって来て、二人が夜の中を、あれは川の土手道のような場所だったろうか、歩きながら別れる別れないの口論になる。この場面は真っ黒い夜の闇のなかに二人だけが白く浮き出るように映されている。しかも二人の位置が画面の中央から、確か右下に置かれていて、印象深い構図となっている。それに気が付いてから、この「早春」と言う映画は、晴れた屋外の場面でも、なんだか全体に暗い。暗いと言うのは物語が暗いのではなくて、露出が暗いように見える。そう思ったのは、今回が初めてで、そう思ってからは映画がずっと、終わりまでそう言う風に見えるのだった。これが当時の他の映画と比べてどうなのかはわからない。技術的な理由から、当時の映画はみんなこんなものなのか、改めて比較しながら他の映画と見比べてはいないからわからない。あるいはそこに作品上の意図があったのか。あるいは放送された画像情報になんかの原因があったか。さらには、私の持っていた当時のVHSデッキやテープに理由があるのか。
それとも自分の視力の明るさに対する瞳孔径制御か、暗視反応の定数みたいなところが老化したのかも。
とりあえずはそんな勘繰りは引っ込めておいて「小津の「早春」は黒の表現が効いている、と気が付いた」って思うことにしておこう。



 横浜の野毛あたりを撮っていたらSDカードが満杯になった。古い写真を消去しようと再生してみたら昨年の夏に大阪や京都や渋谷で撮った写真がたくさん記録されたままになっていた。冬の夜に真夏の昼の写真を、街角で、カメラの液晶モニターで眺めていると、そのときに撮った写真が、最近や今日撮った写真より圧倒的に良く見える。そこで家に帰ってきて、昨年の8月に撮った写真を見返してみた。しかし、もう、野毛でカメラの液晶に再生表示されたときのようには良く見えなくなっていた。そこに写った8月の猛暑が、皮膚感覚としては全然覚えていない。