気持ちのことを持ち出す気持ち悪さ


このblogの6月18日のところに、女子サッカーカメルーン戦のテレビ観戦の感想として「組織的なディフェンスと、パスを組み合わせた崩しによるオフェンスと言う日本チームの、技により力をかわすような在り方でどこまで行けるか?が見処だろうか」なんて書いてある。運にも助けられて、決勝までたどり着いたのは、この日に書いた日本の特徴が四年前より、あるいは試合を重ねる毎に際立っていき、相手チームを僅差で上回れたからだろう。決勝は大差がついた敗戦になったが、大差に関しては、フィジカルの差や、戦術の差や(奇襲の一回目は奏功する可能性が高いとかの)、運不運の転びかた(なにかの意図した行動、クリアでもスライディングでも位置取りでも、ランの方向でも、トラップの方向やボールの置き方でも、その選択の善し悪しに絡む偶然性と、意図通りの動作と結果は100%確実には行えない。なぜならそんな選択では安全なだけで攻撃にも守備にもより上位の得たいものに繋がらない。それすなわち運不運の入り込む余地がたくさんあると言うことだ)で、今回は大差の着く方向になってしまった。だけど、ここまでの点差にはなかなかならないだろうが、じゃぁ今の日本とアメリカが、中四日で連続して十回戦ったらどうかと言えば、なんとなく皆が漠然と感じる通り、日本は負け越すような気がする。2勝6敗2分けくらいの感覚か、せいぜい1勝か。これを打破するには、特徴である組織的なパスワークを伸ばすと共に、速さと力のある大きな機関車のような強力なパワーが欲しくなる。考えてみればJリーグの各チームも、すなわち日本のサッカーの全ての強化の悩みはそういったところに帰結するのかもしれない。J各チームの外国人選手の補強を見ていると、まぁ一言で言えば上手い選手を取る訳だけど、弱点の補強と言うことから見ればパワー不足を補うことが多いのだろう。一つの試合だけを見れば、やれ誰が悪いとか言えるが、上に書いたように一つのプレー毎に必ず失敗確率がゼロではないのだから、そう言う戦犯探しはくだらない。その試合に臨むまでに失敗確率が低く、次のプレーの選択か秀逸な選手がどれだけその国から輩出出来たのか?って組織論ちゅうか強化論になるわけで、そう考えると女子プロサッカーの環境の「未成熟」にもかかわらず、それなのにこんなに強いのは、驚異に違いない。
さて、この大会で一つだけ気になったのは日本の選手や監督が「勝ちたい気持ちが強い方が勝つ」「気持ちがまさっていたから勝てた」と言うことをよく言っていたことで、これはまぁ自分達に気合いを入れるためのマインドコントロール手法でもありそうだからいいとして、それを聞いている我々サポーターって言うのか、応援してる一般者(?)が、自分は観て楽しんでいるだけなのに、同じように言うのは、どうなのよ?またそれなのかよ?と思った次第。気持ちで優ることで、数値的な、あるいは戦略的な不利を覆した勝利は、そう言う映画がたくさん作られて感動を呼ぶように、すごくキャッチーな結果になるだろう。でも、それは本当に気持ちが勝ったことが原因なのか?気持ちの違いが勝敗に関係することはたくさんある。いや、極めてたくさんだ。あがってしまった、飲まれてしまった、怖じ気づいてしまった、緊張してしまった、集中が切れた、等々、全部気持ちのことだ。こう言う気持をどうコントロールして良い結果に結び付くようにすることは一つの科学的な戦術だ。だけどこう言うことを総称して、勝ちたい気持ちか勝った状態と言っているとはどう広く解釈しようとしても、そうは括れない気がする。勝ちたい気持ちが勝っただけで勝てるなら、勝ちたい気持ちをお百度参りで示せば勝てるのか?そんなわけはない。
選手や監督が言いたいのは、科学的な(数字で図れる)一つ一つに勝ること、勝らないなら対応策を準備すること、そう言う緻密な対策の構築が抜けなく出来るのは、勝ちたい気持ちがあるから、即ち四六時中サッカーのことを考えて考えて考え抜き、それに基づく合理的科学的な練習をして結果、目的に設定した技や身体コンディションを準備できたかどうか。それが偶然や運不運を差し押さえるに充分な相手チームとの実力差を生んでいれば必ず勝てるかもしれない。こう言うのは、勝ちたい気持ちか勝ること、とは括れない。理論的に強いチームが出来上がったと言うことになる。
アメリカチームはフィジカル、即ちパワーでは日本に勝っている。それでもかつ日本を分析してフォーメーション変更や奇襲まで準備した。開始早々に畳み掛けて一気に出鼻を挫かないと消耗戦になると粘り強い日本は侮れないことももちろん知っていた。極めて用意周到で科学的な戦術だった。
気持ちのことにしてまとめてしまうのはなにかをていよく美化して、見えなくして、隠してしまう。過去の戦争の無駄な玉砕も、気持ちさえ勝れば勝てると言う美化した盲信に逃げて、命を粗末にしてしまったのではないか。戦争とサッカーを一緒にするな、と言われそうだが、なんだか民族の持つベーシックなところの脆弱性(と美意識の表裏一体のようなこと)が垣間見えるような反応で気になったのだ。
準決勝でオウンゴールをしたイングランドの選手は気持ちが負けていたからあの場面で失敗したのか?決勝の、日本のディフェンダーI選手は勝ちたい気持ちが負けていたから相手を抑えられなかったのか?そんなことはないわけで、だからあの一見かっこよいような気持ちを持ち出す論法は、見るべきことも見えなくして、ただきれいごとで済ませるだけで、やめた方がいい。I選手がイングランドオウンゴールをしてしまった選手と同様に、国と言うくくりの中でのそのポジションの最良の選手の一人で、監督との相性もあるにせよ、それよりずっと良い選択選手がいない以上、それは日本の弱点でこそあれI選手にはなにの責任もない。責められることはなにもしていない。
辛勝すれば気持ちか勝ったと言い、じゃぁ負けたら気持ちが劣っていたのかと言えば、誰もそんな責任追求はせず、と言うか責任はいいとしても負けの原因分析をせず(もちろん専門家はしているだろうが)、よくやったごくろうさま、で済ませてしまう。ま、しょせんはまだまだサッカーは根付いていないってことか。
多分、アメリカチームは前回大会で日本チームの諦めない粘り強さを驚異と感じ、それに辟易した自分達に慢心のようなことを感じたのてはないか。気持ちに隙があったから、科学的な圧倒的な有利な根拠を覆されたと感じたのではないか。そのリベンジとして科学的な根拠に基づく戦術の用意と、慢心を起こさないようなマインドコントロールを確実に準備した。結果からだけ見ると日本にはそこのところですでに負けていたのかもしれない。アメリカにはちゃんとリベンジに向けた準備があってそれがうまく噛み合った。負けたから見えなかっただけで日本にも準備や試合プランはあったことだろう。