静かな夜


大きな台風がやって来て、関西を中心に東は関東甲信越東海、西は四国山陽山陰と、広い範囲で大荒れの天気になった。16日の木曜日の朝、5時半前、宇都宮の単身アパートを出て、駅まで20分強をかけて歩いた。歩き始めたときにはたいして濡れないで駅まで行き着ける気がしたのだが、駅に着いてみたらビジネス用の夏用スラックスは、太股あたりまでぐっしょりと濡れて、グレーの生地はダークグレーに見えるほど。革のビジネスシューズも防水仕様でもなく、かつ、防水スプレーなどの梅雨時の対策をマメに施すこともせずにいたその結果、革は雨水を吸ってしまい靴下までびしょ濡れになった。
雨は木曜日中、豪雨になったり小雨になったりするもののずっと降り続けた。晩飯は社食で早々に済ませて、帰宅のときは私のアパートのすぐ近所に住んでいる某さんの自家用車で送ってもらった。
今晩はどの家でも早々に帰宅して外出を控えているのだろうか。雨の強いときには、細かいけれど密度の濃い無数の雨粒が窓に当たって来て、ザザッーとではなくてもっと高い音が抑揚少ないままにサッーと続く。
雨脚が細く小さくなると、音もおさまり、室内からは雨が止んだようにも思えるが窓を開けると細い雨が静かに真っ直ぐに落ちている。雨の割には風が強くないからこうして小降りになると静かなのだった。
そういう静かな時間に、いつもの夜ならばときどき自動車やバイクが路地を通っていく音が聞こえたり、誰か大抵は若い人たちが話しながら歩いて来ては歩き去ったり、それほど具体的ではない町の音(生活音)がウワーンと通奏されるように、気付かない程度に空気を揺らしている。いや、揺らしていたんだ普通は、と思ってしまうほどにその夜の雨が細くなっている時間はひっそりと静かなのだった。
アパートでずっと使っているDENONのミニコンポを構成するCDプレイヤー、3枚のdiskを入れて指定したdiskを再生したり、連続3枚再生したり、エンドレスに演奏したり、ランダムに演奏したり、そんなことが出来るが、肝心のピックアップ部の読み取りが出来なくなってきてあるdiskはちゃんと聴けるが、別のは少し再生しては迷い、迷うとヒュルヒュルとトラックの取っ掛かりを探すような囁くような音がして、全く違う曲番の、なぜそこを選んだのか、演奏の途中の時間へ、例えばさっきまで一曲目を聴いていたのに突然音が途切れて、ヒュルヒュルと迷うこと十数秒か数十秒か、次には三曲目の2分7秒から始まったりするのだ。ときにはヒュルヒュルがしばらく続いてから完全に読み取りを放棄して黙りこんでしまう。ERRORとかNO DISCとか、原因の主張か言い訳を少しはすれば良いのに、じっとなにも表記表明もしないこともある。
この話を先日知人に話したら、それはまずクリーニングディスクと言うのが1000円くらいで売っているから、買ってきてかけてみると治るに違いないと教えてくれた。そこで台風の来る前に、火曜日だったか水曜日だったかに、大型電器店に行き、店員もうろ覚えのクリーニングディスク売り場になんとか案内してもらって、知人の言う通りおよそ1000円のを買ってきた。たかだかクリーニングディスクを買うのにも予想していなかった選択を強いられる。乾式クリーニングのみと言うのだと数百円なのだ。そして大抵の症状はそれで改善する、とも説明されている。その一方で乾式と、それでもなおらない頑固なヘッド汚れをクリーンにするには湿式、即ちクリーニングディスクにチョボチョボ植えられているブラシのようなところに数滴の同梱クリーニング液を落として、それでクリーニングをする方式が併設されたものもあり、そっちがおよそ1000円。安価な乾式のみで治れば良いが、仮に自分のプレイヤーが頑固に汚れていて湿式でないと治らないのだとすると、湿式併用を買い直すことになりかねない。確率的にはそれで充分な乾式で済ませるか、万が一に供えて湿式併用を買うか、さて、どうするか。
多くの人がそう選ぶように思うが私は併用を選んだ。帰ってから早速試すと、やはり湿式を使わずとも乾式のみで今まで音飛びしていたものも飛ばなくなったのである。それで、あー両方式併用の高いやつにして損をした、とは思わない。治ってよかったぁ、と言う嬉しい、もしくは安心した気持ちが強いから、もうどっちにしたかなんて拘らないのである。このあとまた上手く再生しなくなったら、湿式を持っていて損じゃないしね!などと納得して安心するのだ。上手くできている。
そんなわけで、静かな雨の夜の時間には、音が飛ぶからしばらく聞いていなかったCDの中から京都のマリンバ奏者が、ピアソラやら日本の古い歌などを弾いたのを選んでかけてみた。途中から静かな雨が豪雨になり、ボリュームを上げ、また静になり、ボリュームを下げた。それにしても外からはなにも物音がしない。今晩はアパートの上階の人も帰りが遅いようで、ミシミシとした足音も聞こえてこない。マリンバの音がそのひっそりとした中に流れているが、暖かさや柔らかさよりも、この晩の私の気持ちのせいなのか、曲調のためか、奏者の個性か、CDの音作りに起因するのか、透明で鋭く突き放される感じがする。
子供の頃に留守番をしていたときに、約束した時刻になっても母が帰ってこず、回りはひっそりと静まり返り、だんだんと夕暮れが近付いて来ると、発生した淋しい気持ち、とは違うなあ、もっと切迫した放り出された感じ、自分だけが誰もいない世界に迷い混んだような、もう誰にも会えないのではないかと言う恐怖感はみるみると拡大した。
そんなことを思い出す静かな夜だった。
翌日、会社で、昨晩は静かな夜だったねえ、子供の頃に留守番をしているときに、世の中に自分だけ取り残されたようで怖かったのを思い出したよ、なんて言ってみたら、私より15か20才若い女子社員の方が、私は思い出なんかじゃなく、今でも怖くなる、と答えた。