鉄塔

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 写真は二日前の晴れた日に撮った鉄塔です。でも今日の土曜は雨の予報で、朝からどんよりとした曇り空。午後の4時頃から雨が降り始める。私はとある店で珈琲を飲んでいて、窓の外を見たわけではないけれど、バス通りを走る車の音が濡れた路面を走る音に変わったのがわかった。都内のソメイヨシノはまだ満開までは至っていないが、あと二日もすれば満開になるだろうか。あと一日かもしれない。堀江敏幸著の「オールドレンズの神のもとで」という短編集なのだろうか、新しく文庫収録されたその本が、平積みになっていたのを一週間前の土曜あたりに書店で見つけた。手に取ったが、読み待ち本が列を成しているので、いま買ったところでずっと読まずに置かれるだろう、と思い買わなかった。今日、雨が降り始めたときに一緒に珈琲を飲んでいた某さんがふと顔を上げて、そんなタイトルの本が新刊で出ていたよ、と教えてくれたから、うんうん知っている、と答えた。その直後に某さんが、雨が降り始めた、と言い、車の音が変わったからわかる、と言い足した。私は半腰まで立ち上がり、そうすると窓から外が見えるようになり、待ちゆく人は半分くらいが傘をさし半分はさしていない。持っていたバッグの中には、最近中古でネットで買った、1インチのセンサーの、フルサイズ換算焦点距離24-600mmの超高倍のレンズが付いたカメラと、文庫本が三冊も入っていた。もうすぐ読み終えるところまで来ている島本理生「RED」と、数回前のこのブログに買ったことを書いた「ヒトの目、驚異の進化」と、いったいいつ買ったのだろうか、半年前かな、舞城王太郎著「私はあなたの瞳の林檎」。家を出るときに、どこかで集中的に本を読みたいと思ったのだけれど、かといってこんなに持ってくる必要などないのだ。読みかけの「Red」だけで良いものを、もしかすると「Red」を読み終えてしまうかもしれない。残り二時間弱って感じまで来ているから、たしかにちょっとカフェに長居すればそれはなくはない。だから次のもう一冊を持ってくることまではしょうがないだろう。しかし、いつも思うのは、次の一冊がつまらなかったらどうしよう・・・ということだ。それで次の一冊に、控えの一冊を加える。計3冊の訳はそういうことです。控えを入れてくるところが活字中毒者でかつディフェンシブな性格の結果か。夜はとんかつの店でロースかつ定食を食べた。キャベツの量が多いのが良い。とんかつは塩で半分、とんかつソースで半分、食べた。ソースには甘口と辛口があり、塩も三種類か四種類置かれている。あまりあれこれ変えても仕方がないから、ソースは甘口に、塩は粒がざらめのように大きな真白のやつにした。ソースは若いころから迷わずずっと辛口にしていたが、なんで今日は甘口にしたんだろう。そういう気まぐれのような自分の些細な決定の理由なんか、自分が決めたことでも、まるでわからないな。いまは静かな夜。

 話を蒸し返すようだけど、街を歩いていて、ときどきあった古本屋は、マラソンに例えると給水所のような感じで、散歩のアクセントになっていたが、すっかり減ってしまった。そのおかげで家を出るときに三冊だった本が四冊や五冊に増えずに済んだわけだけれど。同様に中古カメラ屋も減った。中古カメラ屋も一息入れる給水所的な場所だった。今日、歩いていたら、珍しいことに中古カメラ屋が商店街でもなんでもないマンションの建てこむ一角にぽつんとあった。その店もマンションの一階だったかもしれない。おいてあるカメラやレンズを眺めた。小西六写真工業だったかしらブローニーフイルムの6×4.5cm範囲に写真が写る「パールⅡ型」が何台かあった。私もむかしこのカメラを持っていたが、レンズの解像がひどくて(たぶんそれが性能ではなくて中古であるその個体のレンズにガタが来ていたのだろう)手放した。だけど軍幹部の黒い横線が二本?三本かな、並んでいるデザインはかっこいい。