閉館目前のホテル・オークラ


 先日、なんとなく購入したCasa BRUTUSの特別号「ニッポンが誇る「モダニズム建築」」を読んでいたら、ホテル・オークラ東京がこの8月末で営業を休止し、建て替え工事が始まるということが書いてあった。建築ファンってわけでもないのに、たとえば新幹線100系の最終運転のときだけ見物に行くにわか鉄道ファンと同じように、ホテル・オークラを見に行ってきた。でも、新幹線100系は、そこにあるのが当たり前だからこそ、日々においては鉄道ファンでもないしその写真を撮ってはいなかったけれど、いざなくなると思えばやはりそれは「あって当たり前」であったからこそ「名残惜しい」から最後に一目見ておきたいものだ、と考えてのこのこ出かけていくというのはよく理解できる。しかし、私にとってのホテル・オークラはぜんぜん「そこにあるのが当たり前」ではなかった。誰かの結婚式で行ったことがあるわけでも多分ないし、泊まったこともない。だから上記の「新幹線100系の最終運転のときだけ見物に行くにわか鉄道ファン」が「そこにあるのが当たり前と思っていたほどそのものが日々に含まれていた」という理由と、私がホテル・オークラを見に行ったのは、こう書いてくると、上に書いたばかりなのに早速それを覆すことになるが、同じではないな。それよりもこの本の記事を読んで、賞賛されているホテル・オークラの建築に関していまになって初めて知ることができて、それで興味を持って初めて見に行ったということだ。だからもしかしたらミーハーの極みであって、最後だからといって見に行く「資格基準評価表」なんて尺度があるのだとすると「あなたは行く必要なし、NGです」という判定結果になってしまうんだろう。
 まあ、私が小学校から高校まで住んでいた神奈川県平塚市の「平塚市民センター」の入り口ホールや階段のデザインなんかも、1960年代の公共建築に共通の、私にはその理由が具体的には説明できないものの、共通の感じがあったと、直感的にそう感じる。そういう感じが共有できるから初めてのホテル・オークラでも「懐かしさ」を感じられるかもしれない、というのが私に許されている見学理由になるのかもしれない。
 ホテルは暗い。暗いというのは、気分が暗いとか根暗とか、そういう「暗い」というより、谷崎潤一郎が著書「陰翳礼讃」で書いていた陰翳がホテル内のそこかしこの空間に満ちているような感じなのだろう。それを、もしかしたらわれわれ日本人よりも敏感に外国の方が見極められることが出来るから、彼らが日本人以上にホテル・オークラを愛していたのではないだろうか。なんて、一見さんの感想でした。
 ホテル・オークラの建物や内装、備品、等々のどこをどう見るのか、私はそこへ行ってきたけれど見るべきところを見つける知識はないし、そういう解説は他の詳しい方たちが書いたブログを読むとよくわかるようです。