あてどないこと


 どこに行くか、大したことでなくても目的地を決めて出かけるのだが、今朝は外が快晴であり昼間には春めいた陽気になりそうだ、ということだけで外に出ようと思い立っただけで、目的地が決まらない。あてどない。決まらなくてもバスはやって来て茅ヶ崎駅に到着し、上り電車が到着したから乗車する。藤沢の喫茶店のMでモーニングを食べてみようか。食べながら本を読み、本を読みながら目的地を決めようか。そういう風に仮の目的を決めて下車した。喫茶店のMの前まで歩いて行くとモーニングを営業するのは平日だけだと書いてある紙が窓の内側に、外から読めるようにセロテープで止めてある。仮の目的すら上手くいかなくてちょっとないくらい途方に暮れてしまう。昨日、朝起きたら肩の凝りが異常にひどくなっていて首を90度、横に回すことさえままならない。おまけに下の右の糸切り歯あたりの歯肉に炎症が起きて腫れている。鈍痛が続く。そういうことが重なっているだけで、そんなの大したことでもないのに、途方に暮れる大きさに輪を掛けているに違いない。
 デパートの「さいか屋」の向こうの道を歩いて行くと、やがてそんなところに喫茶店があることも知らなかった、古そうな喫茶店を見つけた。店頭に立ち止まり、看板を見るとモーニングセット500円とあったので入ってみると、奥に細長い店で他には誰も客がいない。入ってすぐ、左側にあるカウンターの上はいろんな物がごちゃごちゃと置かれていて、すでに客席には使われていない。右の壁に沿って二人席が三つか四つか五つか。その先から四人席が通路の両側に三列か四列か。全席数は四十くらいはあるような店だ。たぶん私より年上と思われる六十代後半かなご主人が、奥の席を使っていいよ、と言うので、ずんずん進んで一番奥の四人席に座る。そのすぐ奥の棚にはCDラジカセが置かれていて、懐かしい曲が流れている。小坂明子が歌った「あなた」、五輪真弓が歌った「恋人よ」、いるかが歌った「なごり雪」、プリプリが歌った「M」、松田聖子が歌った「瞳はダイヤモンド」。私がいるあいだにこれだけの曲が流れるが、すべてオリジナルではなくて女性なのか男性なのかが不明なちょっと掠れた声の歌手がカバーしているようだった。
 オリジナルだと聞き流してしまったのかもしれないが、妙に耳につく。それも歌詞の中身が明確な意味を認識させるように頭に入ってきて聞き流せない。「M」の歌詞なんかちゃんと意味を理解して聴いたことなんかなかったようで初めて聴いたみたいだ。「瞳はダイヤモンド」の歌詞が心に浸みたりして情けない。いや、情けない、などと強がっても仕方がない。帰り際にちらりと見たら男性歌手の紅白歌合戦にも出ていた徳永なんとかさんがカバーしているらしい。なんとかがちゃんと判らなくてごめんなさい。
 トーストとキャベツととうもろこしのサラダに、いま焼いたばかりのハムをまじえた玉子炒めが付く。珈琲もたっぷりとしている。ご主人のお母さんなのか、もう九十歳くらいと思われる女性がいつのまにか一番入口に近い席に座って外の方を見ている。
 外に出ると気温が上がっているのが判る。ずっと藤沢本町の方へと歩いて行く。十分か十五分、途中まで歩いて引き返してくる。行きには閉まっていた古本屋が帰り道には開店していた。通路に古本のタワーが出来ていて、身体を横にしながらすり抜けるようにして店内をそろりそろりと歩く。こういう古本屋がだんだん減っている。
 井伏鱒二とデュラスの文庫本を買おうかなと手にして、結局なにも買わずに外に出る。出るとまた気温が上がっている。そうしてやっと仮の気分が抜けて行き、今日はもう藤沢駅周辺を散歩するだけにしようと決めた。
 もっと駅に近い方のもう一軒の古書店にも寄ってみる。ここには写真雑誌や写真集が集めてある棚もある。価格はだいたいアマゾンの最低価格程度で、ちゃんと流通標準価格を把握した正しい値付けのようだ。森山大道写真集「4区」を見つける。欲しくなるが、価格が適正なのかすぐには判断できない。そこで古書店での一期一会の買い物の面白さ、には反してしまうが、いちど店外に出て駅ビルに行き、椅子に座って値段を調べてみる。これはお買い得価格のように思えたので店に戻って購入した。
 駅の回りをうろうろと歩き回り写真を撮っていく。そのうちに昼になった。
 カフェ・パンセに寄り、店主のKさんと四方山話。さらにYさんがやってきて2時半まで過ごす。途中クロックムッシュを食べた。食べていると歯肉炎がどんどん痛くなってきてまたぞろ気分が落ちていく感じ。
 帰宅して購入した「4区」を眺めているうちに、久しぶりに撮った写真をモニターに映し出し、それを再度接写してから画像処理して「記憶のような」画像を作る「遊び」をやってみた。
 モノクロにもしてみたが、ここに載せた写真のようにカラーだけど彩度を落としたようなのが今の気分。

 私の使っているコンデジはマクロモードで周辺の画像がすごく流れる。それもこういう画像を作るときには効果になる。