水平線の上の雲


 30日の日曜、また湘南平へ行ってみる。今日もまた曇っている。水平線上にわずかな彩度の差をもって、雲が並んでいることが見て取れる。上空はほとんど抑揚がない、平板な一面の雲だ。こんな風な写真を数枚撮って、ほかに撮るところが見つからない。
これを撮ったのだって、例えば杉本博司の海景ってシリーズが思い浮かんでいて、あの海景の制作背景は、地球の歴史をずっとさかのぼってまだ人類が誕生していないほどのころにももう海はあって、これと同じ光景があったはずなのだというようなことが発意だったのではなかったか。そして、水平線を画面の中心を横切るように配置して、曇りの日に限る、といった「決め事」を与えていたのではなかったか。「・・・ではなかったか」ばかりで申し訳ない。うろ覚えのことなので。
 ファインダーのなかで水平線を真ん中に置こうかなと思ったりするが、結局は並んだ雲を真ん中に置いている。

 夕方、家族の某が予約していたのに急な所要で行けなくなった映画のチケットを譲り受けたので六本木まで映画を観に出かける。東京国際映画祭に出品されているアメリカ映画だった。典型的なラブストーリーを、今のニューヨークを舞台に小気味よいテンポで焼き直した映画。その「典型的」なところへのリスペクトがあるのがいいですね。それが感想の分かれ目になって、こんな古臭い物語を今さらなんで?、という否定的な感想ではなく、肯定的に楽しめることの原動力になっているような。そこを隠さずエンタテイメント性を優先しているようなところが潔い。

 夜遅く、ベッドに入る前にテレビでニュースを見ていたらボブ・ディランノーベル賞受賞を受諾し光栄に感じるみたいな声明を出したと報じていた。このブログの数日前のところにも書いたように、ディランの「無視」と、財団側の「焦燥」のようなことに、傍観者的な興味を覚えていたのだが、なんだか「終焉」って感じがしてしまってつまらないな。身勝手な感想ですが。

 秋深まる。