ゴードン・マッタ=クラーク展


 この7月7日のブログを一時間くらいかけて一生懸命書いていたら、突然パソコンが変な動きをして、全部その文章を喪失してしまった。
再度書く元気はありません。がっかり。7/7に東京国立近代美術館で見たゴードン・マッタ=クラーク展のことを久々にものすごく長い文章で書いていたのだったが・・・。

 ま、ちょちょっとした感想だけでも。

 動画や静止画でその制作過程を提示しないと形が残らず、偶然も重要な要素で、同時代的な鑑賞の背景とを前提とした、作品は、多くの鑑賞の視点を持っているような、分け入り方によって人それぞれの感じ方の多種多様さを広く容認できる寛容な感じもあって、その分「難しい」「わからない」と思われることもあるからでしょうか。
 しかし、そういう作品の在り方は、いまよりも私はちょうど学生時代だった1970年代の方がむしろ当たり前に行われていて、一般大衆も、今よりもそういう表現を理解して楽しんでいたのではないか。その後の美術が美術史的にどう歩んでいると分析されているかわからないが、人々は社会問題を大衆の側から動かす可能性を諦めて、せめて洗脳はされないようにと、注意深くなり、きわめて個人的な内側に籠っている感じがしないでもない。
 だから、この展示を観ることは、ずーっと懐かしさに囚われるということでもありました。
 いやなに、こんなのは勝手な思い込みで、私より十歳上の方は1960年代の、十歳下の方は1980年代の、それぞれの表現手法をいま見ると懐かしさを感じるわけで、そこに社会問題とか大衆とかうんぬん、関係なし!なのかもしれない。