引き続き古い写真を眺める

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今日も密にならないような小道を選びながらきままに歩いた。けっこう、ご近所さんなのかご親戚なのか、集まって、ホームBBQなど楽しんでいる人を見かけたな。おいおい、いいのか?と、どうしても思ってしまう。今日は朝早くと夕刻と二回ウォーキングをした。歩数は両方足して18515歩になっていた。

そうは言っても、多くの時間は自室の整理整頓に使っている。いや、整理整頓と称して、古い写真をずっと見返してしまう、その時間の方が長いかもしれない。

そんなわけで今日も古い写真の接写です。上は1999年頃だったと思います、パリの町、雨上がり。こんな写真を撮ったことはまったく覚えていなかった。たぶんコンタックスTにポジのフイルムを入れて撮ったんだろう。そしてサービスサイズにプリントをして、そのままずっと蓋を開けてなかった箱にしまわれていた。箱と言うのは、モノクロ印画紙50枚入りの空き箱です。三菱月光とか書いてあるやつ。玉手箱みたいですね。偶然にもおよそ二十年経った今日、とうとう蓋が開けられた。するとこの写真が出てきた。撮ったことはなにも覚えていないから、へぇこんなの撮ったんだ~と思う。もし新型コロナウイルス感染症で世界がこんなにことになっていなければ、会社の仕事だってテレワークが一気に進むことにはまだなっていなかった(将来のいつかは結局なった?)。すると、部屋を片付けてテレワーク環境を快適にしようなどとも思わなかった。するとこの2020年の5月に部屋を片付けようとも思わなかった。そして、蓋は開かれず、こんな写真を撮ったんだへぇ~と思うことは起きなかった・・・だろう。でもこういうのは偶然というのか、偶然と必然はなにが違うのか?すべて偶然という名の必然が発生し続ける。これが時間が進むということそのものじゃないのか。

雨上がりのパリ。なんとなく覚えてる。

下の写真は、ピンホールカメラで撮った茅ヶ崎の海の写真ですね。1999年かそれより1年か2年前、夏に自作した。フイルムホルダーだけはマミヤの6×7用のものを使った。

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