写真のはじまりの予兆

 月曜日、休暇を取り、箱根のポーラ美術館へ。ピカソの青の時代に焦点を当てた企画展開催中で、平日なのにずいぶん混んでいる印象。館内のアトリウムギャラリーでは村上華子「写真の誕生」展をやっていた。上の写真は村上華子が、ニエプスが試行錯誤していたさまざまな像を残すための実験のうちでフィゾトタイプと呼ばれる技法を使って作成した作品(微かな葉の輪郭が写っている)と、それをまたデジカメで撮っているわたしの影が一緒に写っています。

https://madamefigaro.jp/culture/221003-pola-museum.html

「はじまりの予兆に」という村上華子の書いた文章には、以下転載すると

『写真というものの予兆は、いま私たちが写真だと思っているもの以外のものの中にあった。それは彼(注;ニエプスのこと)の庭の木漏れ日であり、獣皮模様の表紙のノートであり、鏡のように磨き上げられた石版石であり、燃え上がるような手紙の一節であり、スプーンの明るい影であり、表面が溶解した銀貨であり・・・(中略)・・・ラベンダーオイルとアスファルトを用いて固定されようとした、見えるか見えないかのところでかろうじて存在する葉の影であり、松やにをアルコールに溶かしたもので窓からの眺めを写しとったはずなのに霞が浮かぶばかりのガラス板であり、・・・(後略)・・・』

とある。なるほど、森山大道が、すべての写真はニエプスが実験室の窓から撮った一枚の世界最初の写真、窓の向こうの屋根や建物が写っている、その写真に帰結する、といったことをたぶんどこかで書いていたが、その最初の一枚にたどり着くまでのあいだにも、膨大な実験と失敗と試行錯誤と新たなアイデアと再びの実験があったし、そこには生活もあり、手紙も書き悩みも打ち明け、誰かを愛し、お腹をすかし、激論をしまた気晴らしに遊んだ、というニエプスの「生きたあかし」があるわけで、そんなことは当たり前なのに、実験室の窓からの最初の写真とされている写真が成果として示されたらそれだけを知っているというのは知ったうちにも入らないな。想像力不足。村上華子の書いている「予兆は写真だと思っているもの以外の中にあった」はすなわち予兆の中にいるあいだがニエプスの青春そのものだ、とも思った。ところでニエプスの最初の写真は1827年に撮影されたとされ、ニエプスは1765年生まれだそうだから、最初の一枚を残したときの彼の年齢は、えっ?62歳でしたか・・・。上に「青春そのもの」と書いたが、老いても青春のごとく試行錯誤をずっと続け、青春のごとく成果を夢見たのか?・・・なんかすごいな。新しものを生み出そうと思う力は、とても強いことだろう。