昼下がり

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私用があって、昼下がりに藤沢駅近くの某ビルへ行く。あぁ、こういう当たり前の街の景色を久しぶりに見た気がしました。それでなんだかほっとする。

帰り道、自家用車は西に向かう。西の空に何本も線状の雲が、上や右や左に伸びていて、空のオレンジより濃いオレンジに染まっている。東海道線の普通電車15両編成がまっすぐの線になって藤沢駅辻堂駅のあいだを走り抜ける。そのうえを斜めに曲がりながら小田急線の高架線路がまたいでいて、そこには減速した小田急の電車がゆっくりとゆっくりと走っている。小田急の電車は逆光気味に見えていて、窓の長方形がくっきりと区切られて見える。踏切で止められた車や自転車や歩行者がシルエットになっていて、踏切の赤いライトが点滅する。すぐ前の軽自動車、その前のトラック、さらに数台おいた先に神奈川中央交通の見慣れた色のバスが見える。道の両側の電信柱と電線が望遠レンズの圧縮効果のようになって遠くまでずっと、これもシルエットになって見通せる。そして夕焼けの空に線状の雲がある。もしかしたら雲のうちの一本か二本は飛行機雲だろうか。

こんな風に目の前の光景を「動画」のように覚えているのは本当に覚えているのか。言葉に置き換えることで補強をして動画を何枚かの静止画に置き換えて、かろうじてその残像を覚えている気になっているだけなのは、ではそこを絵に描き起こせと言われるとほとんどできないことから明白なのだが、でも覚えているとはそういう程度のことだろうからそれでいいのだ。そして「動画」のように覚えていることが全部の時刻の目の前のことをいちいち覚えているわけではないから、こうしてこの日の夕刻のことをこれを書いている二日後の昼の時間にもまだ覚えているのは、少しは感動のように気持ちが動いていたかもしれないです。いちいち日常のそんな些細なことに微とはいえ感動するもんじゃない。とも思いますが。。。

あぁ、中学のときのそれはたぶん秋だけど、校庭で友達となにかやっていて(体育祭の練習とかかな?)もう日が沈む直前の友達の顔がオレンジ色に染まっていて、その瞬間に日が沈んで、一瞬にして日に染まった友達の顔の「ライティング」が変わって、平凡な夕刻の顔になった、その変化の一瞬を見たことをいきなり思い出しました。もっと元気でいたいですね。