真冬のこと

 寒くなりました。でもまだ南関東の最低気温が零下になった日はないようです。

 小学生の頃には同じ南関東の神奈川県平塚市に住んでいて、自宅の庭の、直径100センチメートルと70センチメートルくらいの丸池がくっついた小さな瓢箪池には分厚い氷が張って、恐る恐る乗ってみる遊びもできた(実際はみしみしと音を立ていかにも割れそうだから乗らなかったかもしれないが)。その池に飼っていた金魚が白点病になったために、広口瓶に池の水を入れて隔離しておいたら、翌朝には水が凍って金魚も氷の中に閉じ込められて死んでしまった。こんな思い出があるのだから、1960年代、今よりずっと寒かったと思われる。でも本当にそうなのかな?一番寒かった日の記憶が、冬の間は毎日がそうだったと敷衍して記憶されてるだけかもしれない、というかそのほうが頷ける。
 学生の頃、愛知県名古屋市で、下宿のある地下鉄の最寄り駅前にあったマクドナルドでビックマックを一つ買って、徒歩20分くらい掛かる下宿に着くまで冷えないようにとコートの下、もしかするとセーターの下にビックマックを入れて、早足で途中少し駆け足になり急いだけれど、下宿に着くと結局はもうビックマックは自分の希望の温度からはずっと冷えていて、とてもがっかりしたものだった。電子レンジなど下宿の部屋になかった。そもそも電子レンジはまだ普及してなかったかもしれない。
 また、小学生の頃に戻ると、吐く息が白いから自分が蒸気機関車になったつもりで通学路を歩きながら頭を上に向けて白い息を吐いてみた。白い息を蒸気機関車の噴煙に見立てたひとり遊び。
 こたつに足を入れたまま横になり眠ってしまうと却って風邪をひくから寝るなと言われたが本当だったのかな?こたつに載せるテーブル板の上にはだんだんいろんなものが置かれる。みかんを入れた盆とか読みかけの本など。近所の友達の家に行くと何も置かれてないきれいなこたつの板の家もあれば、いろんなものがところ狭しと置かれている家もあった。整理されたこたつよりも、いろんなものが、みかんや本だけでなく、爪切りやら懐中電灯やら魔法瓶、色鉛筆や新聞広告やお手玉が、置かれているこたつ板のほうがずっと好きで、母がAさんの家は散らかっているときれいに整理された自宅のこたつを自慢するのを聞いても、Aさんの家の方がいいなと思っていた。
 単身赴任をしていた北関東宇都宮市は連日マイナス5℃になった。5時に起きてまず朝風呂に入り身体を暖めてから着替えて外に出た。自転車を漕いで駅まで行く。駅からは社バスに乗る。社バスの中はもちろん暖房がされているから、自転車を漕ぐ10分あまりの寒さ対策に朝風呂は良かった。冷え切る前に駅に着けた。
 写真は横浜市の私鉄の某駅近くの歩道を歩く家路を急ぐ人たち。帰宅して、一人暮らしでも電気をつけてまずは暖房のスイッチを入れれば少しほっとする。