バスの色

 またHDDの中へと過去への旅をして、そう、まるで化石を掘り当てたかのように見つけた写真は2010年の5月の阿蘇、場所はたしか大観峰と言いましたか?外輪山から阿蘇カルデラの水田がきれいに見渡せる展望台で撮ってありました。少し前に霧の阿蘇中岳の写真をこのブログに使った、あの写真と一緒に見つけてきました。化石集めの比喩よりも、素潜りで海底にサザエを探しに行き集めて来た感じでしょうか。化石集めも素潜りもやったことないからわかりませんが。

 今日も外は暑そうでした。コロナ明けの仕事はテレワークで復帰しています。午後二時、仕事のあいまに、私の自室の北側の窓から外を眺めました。明るい夏の日差しに、片側一車線にせいぜい1mくらいの幅の歩道が設けてあるバス通りが見えます。窓を閉め切り、ポータブルエアコンの弱でもうるさい動作音のする室内からバス通りを走って行く自家用車やトラック、常にはいない程度の頻度で歩いている歩行者が見える。神奈川中央交通のバスはクリーム色とオレンジと赤で塗り分けられています。バスって見慣れていると当たり前のカラーリングですが、ほかの町に行きその町の路線バスに出会うと、見慣れていないカラーリングで、ときどきびっくりしますね。どちっかというと地味でくすんでいてびっくりすることが多い。でも見慣れるとすぐ慣れるから、そこが大事なんだろう。あるいは創業時に公共交通機関にあるべき色の一般常識で選ばれる色が、いまの町に溢れている色と比べると「地味」「くすんだ」になるのかな。神奈川中央交通はそれでもだいぶ派手だと思う。

 もうひとつ、路線バスって自分が乗る予定がないときには、例えばこうして仕事の合間に窓の外を見ていると、昼間は15分に一本のバスがすーっと走って行く。にもかかわらず自分が乗ろうとしてバス停に行くと、なかなか来ない・・・・という感覚が生まれるものでした。いまは接近情報がスマホですぐ見られるから、そういう風に感じることも減ったけれど。こういうのはちゃんと来たときやすぐに来たときはその幸運をすぐに忘れてしまうのに、なかなか来なかったときのことだけを覚えているからでしょうか?三浦しをんまほろ駅前シリーズに、バス会社が時刻表に対して間引き運転をしているからその証拠を見つけ出す!と息巻いているおじさん?おじいさん?が出て来たけど、その気分はわかります。

 バスもその他の自動車も歩行者も窓の向こうの世界で音も立てているはずだけれど、窓をしめエアコンの作動音がするなかではなにも聞こえない。無音の世界を眺めている感じ。すると窓のそこにいまある世界が、まるで映画館で見ている過去の映像かのように、いまではないように思えたりもしました。

 上の展望台から見える景色が下の景色でした。2010年5月。写真と文章(バスの話中心)が全然関係ないですね(笑)