この道

f:id:misaki-taku:20210729124644j:plain

自家用車を運転して、世田谷文学館安西水丸展を観に行く。往路の横浜新道や第三京浜や環八は私の進む方向はすいすいと進むが、反対車線は大渋滞になっている、今日は四連休の二日目にあたる。夜には東京オリンピック2020の開会式が開催される。水丸さんの絵は、対象をシンプルに省略して本質を捉えることで対象の良いところをちゃんと炙り出し、鑑賞者に前向きな希望を抱かせる・・・のかな。希望と言うのはなにかを食べたいとか、なにかそよ風を感じられる場所に行きたいとか、少しだけ寒い場所で丸まって眠りたいとか・・・些細なことだけど、いまこの瞬間に、ここでは叶えられないようなことかもしれない。ちょっとだけ今と違う先の季節が素敵な時間に出来るような気がする・・・と言うような。水丸さんは千倉の出身らしい。

千倉と言えば浅井慎平海岸美術館と言う写真の美術館があったけれど昨年閉館してしまったらしい。私はその美術館が目当てで三回くらい千倉に行きましたね。とは言え最後に行ったのは25年くらい前だろうか。

帰宅して、パソコンのある小さなテーブルの横の本棚から別冊フォトテクニック「浅井慎平 人と作品」と言うムック本を抜き出してぺらぺらと捲ってみる。この本が出た1980年頃、何度も捲ったものです。写真もさることながら浅井慎平のことをあれこれと他の方が書いているエッセイが面白かった。土井鷹雄と言う方の書いた「モノクロームなモノローグ」と題されたエッセイには、自宅の本棚にガラス瓶があり、そこには浅井慎平からもらったものを入れてある、と言うことが書かれている「例えば、風邪の煎じ薬や、石の小さな結晶や、ジャマイカのマッチ箱や、・・・」ともらったものが列挙してある。1980年頃の私は、これになんだかすごく憧れてしまったようで、当時住んでいた市が尾(横浜市緑区)にあった会社の寮から田園都市線に乗って渋谷に行き、渋谷の東急ハンズで土井さんと言う方の上記エッセイに添えられた写真に写っているのとそっくりなガラス瓶を買ってきて、そこにいろんな小物を入れることにした。寮に住んでいたころはジャズ喫茶のマッチとかギターのピックとか、拾ってきた小石とか、そんなものを入れていたのではないか。でもそののち茅ケ崎に引っ越してなんだか砂浜に行って小さな小石を拾うのが好きになり、ガラス瓶は小石入れになった。瓶と言うのは直径十数センチ、深さが二十数センチで、ときどき梅干しなんかを漬けていたりするようなものだ。ところがある日また新しい小石を入れたら、ガラス瓶が割れてしまった。重さと石がぶつかったせいだった。それでガラス瓶に小石を入れるのは止めとなり、小石は捨てられたり、なんとなくコンビニ袋にまとめて入れられて引き出しの奥の方にしまわれたりして忘れられた。数年前の自宅のリフォームのときに発見されたが、いくつかの小石を掌に載せて眺めて見ても、その模様や色を美しいとかかっこいいとか、あるいは指で撫でるときの触り心地がいいとか、掌で転がしていると心がほっとするとか、そういう気持ちが蘇らないようだ。それで結局今頃になりそのコンビニ袋の石を捨てた。父は小さなクッキー缶かなにかを「たからばこ」と言って、父が小さい頃から大事にしていたキーホルダーやあるいは1964年のオリンピックのときの記念銀メダルとかを入れていた。安西水丸さんの展示のなかにはアトリエと言うか執筆をしたりイラストを描く部屋にあった小物を展示しているコーナーもあった。あと、安西さんはスノードームの収集家でもあったそうだ。浅井慎平さんも安西水丸さんもちょっとした小物が部屋にあって、それを人にあげちゃったりもしていたらしい。私はケチだし部屋に知人友人が来るような暮らしではないからあげちゃったりはしないけど、本棚の位置をほぼほぼそろえて並べた本の背表紙より手前の数センチの棚スペースには、六十年近く前に遠い親戚のおじさんからもらったイギリス製のミニカーとか(ぼろぼろだけど)、やっぱり拾ってきた小石とか、子供たちがそのおもちゃで遊ぶのを卒業したあとにこっそりととっておいたブリキの幼稚園バスとか、コーラのなにかのときの記念のガラスボトルや、大磯市(月に一度、神奈川県中郡大磯町の港で開かれるフリーマーケット)で買ってきためちゃくちゃ変で不気味な顔をした小さなぬいぐるみ人形などの小物がランダムに置かれている。それで安西さんの「部屋にあった小物」の展示を見るのは共感のような気持ちも起きて楽しい。

帰り道、相変わらず下りは渋滞している可能性があると懸念したのでナビに自宅まで一般道で行く道筋を設定してみた。すると県道丸子茅ケ崎線で帰る道が出たのでそれに従った。途中は港北ニュータウン(と昔は言ってたけどいまはセンター北とか南とか言う地下鉄の駅のあるあたりだ)や長津田だか十日市場、あるいは三ツ境とか米軍飛行場のすぐ横とか、そういうところを通る道だ。上記の寮生活の頃に最初は青いスズキのGSX250Tそのあとに銀色のホンダのGB250に乗って、よく実家のあった平塚市までこの道で行き来したものだ。だけど通る地名からその道だとわかるだけで回りの景色や建物にはもうなんの見覚えもないのだった。真夏の炎天下で緑も少なく殺風景な道沿いの風景を写真に撮るが、それでもこの殺風景はちょいといいと思ったから撮ったんだ。