冬枯れた荒地

 常磐線に乗って茨城県まで出張する機会があり、特急ときわ号の車窓から外を見ていた。冬枯れた草が覆う空地と、両側からせり出した森の作る風景が、ときどき現れては後方へ飛び去って行った。これは、少なくとも今は人が使っていない空地もしくは荒地という言葉が当てはまるのだろうか?それとも、春になれば手入れが行われ、なにかの用途に使われる土地なのか?私にはそういうことは知識がなくて全く判らない。

 もう閉館しまったようだが、千葉県の千倉に写真家浅井慎平さんの作品を展示する「海岸美術館」があったころ、浅井さんの写真が好きで、二度か三度か、展示を見に行った。そのうちの一回は千倉の駅から美術館までこういう空地または荒地とまでは行かないけれど、冬のなにも植えられていない畑地とその向こうには、まさにこの写真と似た森があるような風景の場所もあった。そのとき私は、6センチ×4.5センチのフイルムサイズのブローニーカメラにTMAX100というモノクロフイルムを入れたカメラを持っていき、そういう風景を写真に撮りながら美術館へと歩いた。

 その年の秋の会社の文化祭なるもので、その当時は会社の写真部に入っていたこともあり、歩いて海岸美術館まで行ったときの写真を四枚くらい選んで、六つ切りサイズにプリントして(夜中に家の玄関に引き伸ばし器とバットに入れた現像液停止液定着液を並べて引き伸ばした)展示した。相当細密でかつグラデーションが豊かなプリントが出来たので、かなりの自信作だった。そのときの写真が、まぁ上の写真みたいな感じだった。だけども、こういう写真は全く理解していただけないというか、今でいえばイイねと思ってもらえないたぐいの写真だったようで、誰の関心も呼べなかった。いいと思うんだけどなあ・・・(笑)

 写真部の連中と千倉まで行って一泊したこともあった。海辺の窓から漁港の海が道路を一本はさんで見下ろせる民宿で、夜のあいだもずっと波の音が聞こえていた。

 波の音や梢を渡る風の音はずっと変わらないんだろう。