静の海

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1969年に人類が最初に月面着陸をした、その日に私がというより父が買ったばかりだったカセットテープレコーダーに、NASAと月面着陸したアポロの宇宙飛行士のやりとりを生中継(だったと思うのだが・・・)するテレビ番組の音声を録音したものだ。テレビのスピーカーの前にマイクを置いたんだろう。たしか鳥飼さんという同時通訳の女性がやりとりを日本語に翻訳していて、それもまた注目されていた。同時通訳の「同時」の難しさもずいぶんと報じられていたと思う。小学校6年生だった私はずっとテレビの前に座りっぱなしで番組を観ていた。あのときは、アメリカのというより人類の偉業として、次々に新しいなにかに挑戦しては成功していく宇宙開発に対して日本の片隅にいた少年はなんだか誇らしい気分になれたものだ。ベトナム戦争が起きて、反体制と反戦の主張のもとヒッピー文化が大きなムーヴメントになり、ジョン・レノンがラブ&ピースを主張し・・・という60~70年代の戦争の時代だったにもかかわらず、一方で(実はこれも米ソの競争だった)宇宙開発の成果は、片隅の少年にとって国ではなく人類の進化としてうつり、だから未来は明るいということがなんとなく信じていたかもしれない。世界の政局や情勢はまだ難しくて理解できなかったのかあるいは知ろうとしなかったのか・・・学校で教師が戦争について時事解説のようなことをしたこともなかったな。ただ高校のときに英語の土橋先生がベトナム戦争終結したことを興奮して話した日があったことだけは覚えている。

アポロ計画が進んでいた60年代のどこかで定期購読を申し込んでいた「科学」という少年向け月刊誌の付録にこの月球儀があった。それをなぜだか2011年の7月のある日にこうして窓辺に置いて逆光のなか写真に撮ってあるのを見つけました。いまも捨てずに持っています。静かの海のところに紙を切った丸印と矢印が貼ってある。これは月面着陸地点に私が貼ったものだと思う。

少年の私は、月が地球に対して一公転で一自転(だからだっけ?)であってだから裏側が見えることがない、とい事実がとても怖かった。その事実から少年が考えたのは、月は実は宇宙人の基地であって、地球から見えない裏側に基地の出入り口があり、人類に気が付かれないように地球侵攻の準備を進めているのに違いないということだった。そうでなければ都合よく片側しか見せないなんてことにならないのではないか?

ほほえましい話としては、アポロ計画の様々な宇宙空間上での実験の名前に「ランデブー」とか「ドッキング」とか言う単語があり、それを恋人たちの行動に置き換えて使うのが流行ったことだったが、いまも通じるのだろうか?と思いウェブリオ辞書とかで調べるとちゃんと載っている。だけどそこにはアポロ計画の頃に恋人たちの行動を比喩したことからその意味でも使われ始めた、なんてことはどこにも書いてないから、これは私の勘違いなのかもしれないです。ただ少年はアポロ計画で例えばランデブーという単語を知り、それが恋人たちのデートみたいな意味でも使われている(使われ始めた)ことをそのときはじめて知ったのだった。

世界記録とか世界初といったことが誰にでもわかりやすいテーマ(挑戦)としていくつもあった時代だったってことだろう。

いまメッセンジャーRNAワクチンがモデルナとファイザーのワクチンとして接種されている。私も二回打ちました。詳細はまったくわかんないけど、ハンガリー出身の科学者カリコー・カタリンさんにより研究されていた技術を製薬会社が応用してコロナワクチンとして接種されている。もしかしたらこの研究があと数年遅かったら、まだ人類はこのタイプのワクチンを手にしていなかったかもしれない。彼女の研究(とその後にそれを応用しつつ実用化に持ち込んだ多くの開発者の努力)がなければ人類の死者はいまの数十倍になっていたのかもしれないですね。少し前のNHKの番組でこのカリコー・カタリンさんの特集があり、京大の山中伸弥さんの研究がヒントになっているという話をお二人の対談で言ってました。

でも、初めて月面に降り立ったアームストロング船長が「この一歩は小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩だ」と言って片隅の少年が賞賛を感じえなかった時代のようにはワクチン開発というテーマはわかりやすくない。

まぁわかりやすくなくてもいいといえばいいのですが・・・(最近日本人がノーベル賞をとるとその研究内容が解説されるけれど結局どこがすげーのかなかなかわからないし、そのとき理解しても忘れちゃうし・・・)