十日ほど前

f:id:misaki-taku:20210929210658j:plain

ほんの十日ほど前に二宮の街を散歩したときに撮った写真です。空地に置いてあった黒いカバーが被った単車です。でもちょっと向こうの家の白い壁をバックにしてなんだか分からないふたつのトンガリを持った物体が奇妙に見える・・・かもしれない。この写真を撮った日はまだまだ暑かった。今朝は涼しかった。会社に行くためにマンションの部屋を出て駐車場に向かう途中で寒いなあと感じて、それで半そでのYシャツ姿でそのうえに着ようと思っていたカーディガンを忘れていることに気が付いた。ふたたびマンションの階段を三階まで上がって忘れたカーディガンをとって来た。こうした「なにかを忘れてしまい取りに戻る」ようなときって、忘れたことに気づいていまきた道(階段)を戻るまでなんだか異様にがっかりして焦ったりする。一方、忘れ物をすでに手にして、再出発すると、そこはさっき歩いたところを二度目に歩いているけれど、でも忘れ物を手にしたあとにはなんだかすーっと上記のがっかり感が消える。もうそんな無駄をしたことをすぐに忘れてしまう。この忘れ物を取りに帰るときの取った前後の気分の落差はいったいなんだろう。私だけのことなのかなぁ?などと自分の心をもうちょっと引いたところから観察してるもう一つの自分のこころがそう思っている。車をスタートする。私の車はその日はじめてエンジンをかけるとナビの追加機能なのかな、ナビとは関係はない?今日は何月何日であって何の日だ、と教えてくれる。今日はクリーニングの日だそうだ。クリーニングにクと二とクがあるから9月29日がその日らしい。語呂合わせ。でもこうしてクニクと並べると苦肉という単語の方が先に思い浮かびますね。ところで苦肉の策と言えば、苦し紛れに考えた手段、という意味だが、これはそういう意味で使われ続けていまはそういう意味でよいということになったが、もともとは苦肉とは苦し紛れという意味ではないらしい。苦肉とは敵を欺くために自分や味方を傷つけるといった意味だそうだ。それで苦肉の策というのも、もともとは、味方を傷つけることで敵を欺く策という意味だった・・・らしい。なんてどうでもいいようなことをずるずると調べてしまった秋の夜。