私鉄の駅

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国民の休日なので、赤い電車の走る私鉄の普通電車しか停まらない駅の前は、冬の早い日暮れの時間で、なんとなく寂しい。写真の右端に写った横断歩道のある通りを、右側に入っていくと、五年くらい前にその時点で会社を定年退職されていた先輩を「囲む会」と言う感じで、飲み会をやった町中華の店があって、この写真を撮ったあとに行ってみたら、その店はちゃんとあったけれど、記憶が正しければ、その道にはもっとずらりと飲食店があった気がするのだが、駐車場になったり貸しビルになったりしただろうか、少し寂しい気がした。しかし、休日だから休業日の店もあるし、帰宅途中のサラリーマンたちも歩いていないから、そう感じるだけかもしれない。この駅から歩いて行く場所にあった(ある?)大きな会社に、その先輩はよく仕事で売り込みに行っていた。そこで理不尽に怒られたり、無理やりの業務を言いつけられたりもしただろう。帰りに大衆中華の店に寄って、先輩とその部下だったT君は、ビールを飲み、餃子や八宝菜やニラレバを突いて、ふざけんな!と息巻いた。その思い出の店を定年後に囲む会の会場として希望して、昔話を楽しそうにしていたものだ。ポストのすぐ先の右側には大きな暖簾を下げている大衆居酒屋の見本のような店がある。今日は開いていなかったが、その店はきっとこの駅前の雰囲気を作るためには絶対必要なランドマークのような、すなわち庶民のランドマークのような店なんじゃないか。赤い電車が撮り過ぎると写真の右側の踏切が上がる。渡るとそこには今度はJRの駅があり、その先にはJRの踏切がある。電車が走っていく音がする。その音はけっこうな轟音だから㏈を測定すると、平日と変わらないかもしれないけれど、だけど一番大きな電車の音が同じなだけで、ここの空気をざわざわと振動させているいつもの音が~人々の声とかもっと多い車の走行音とか~今日は聞こえないんだろうな。その先輩は二年くらい前に急病で亡くなった。その数か月後からコロナ禍がやってきた。もう二十年以上前、私の父はNYでテロが起きる前日に亡くなり、その事件を知ることがなかった。日常の暮らしぶりや、生きている自分の行動や考えることは、テロが起きてもコロナ禍でもあまり変わっていない気もするが、実は同時代で社会として変化している中に属しているからそう感じるだけであって、大変な急激な変化にほんろうされている。亡くなった人たちに、いまはこんな世の中ですよ、と話したくなることも、なくはない。でも心配をかけるばかりの変化なんだとすると、黙っていようとも思う。はっきり言って、その町中華の店の料理は特別に美味しいってわけでもないんだ。だけど先輩にとっては特別な味なんだろうな。