柚子

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 先日、茅ケ崎市内の住宅とところどころ畑が残って混じり合っているような場所の細い路地を歩いていたら、大きな農家の門のところに無人野菜売り場があり、柚子が置かれていた。15個くらい詰められた一袋が100円だったので、竹の節にスリットを入れた硬貨入れに100円硬貨を落とし、一袋を買って帰った。無農薬と書いてあった。

 2月10日木曜日、朝からずっと氷雨が降る。天気予報は南関東も夕方から雪になりそうだと報じたが、いまは11日の早朝4時台で、外を見たら雪はなかった。9日の10時頃に三回目のコロナウイルスワクチンの接種を受けて、その日の昼過ぎから頭痛になり、夜には頭痛は引いて、今度は接種部位が腫れて痛くなったが、1/2回目と同様で、10日の午前あたりは発熱するかもしれないな、と思いつつ9日は眠りについた。10日、起きてみると36.5℃くらいで(わたしの平熱は35.8℃くらいだからちょっとだけ高いものの)なんだ1/2回目より副反応は少なくて良かったな、と思い、10日は朝から30分刻みの会議が五個か六個かあり、テレワークで会議に出席して、ときどきマイクをオンにしてなにかしゃべっていた。夕方までちゃんと予定の会議には出席出来たものの、昼前から午後ずっとは倦怠感と37℃をちょっと超えた微熱でふらふらしていた。そのせいか9時頃に部屋の蛍光灯も付けたまま、眠ってしまったらしく、目が覚めたら深夜の3時頃だった。買っておいた柚子は使いようがない。ジャムを作るようなこともしない、柚子湯にする気もない。ならなんで買ったのか?柚子のごつごつした表皮や形は温州蜜柑や檸檬よりニキビ面な感じがしてそこにひとつひとつの実の個性がある。こんな感情は擬人化ということで、ちょっとまんまと柚子の罠にはまっている気もする。柚子に意志なんかないし、したがって罠も仕掛けないから、こういう表現をする時点で擬人化しているってことだ。いや、待てよ、もしかするとこのごつごつにもなにか生態の種の保存として機能するなにかの効果(目的)があるのかしら。それでいつかはしなびてしまうけれど、部屋に柚子があってもちょっとそれは花を花瓶に生けているのと同じく、なんていうのでしょうか「暮らしに潤い」(笑)そういう感じがしたのかな、買ったときに。

 10日にテレワークを微熱でだるいなか続けながら、外は氷雨で出歩く気力はもちろんないから、そうだ柚子の写真でも撮ってみるか、と思ったが、思っただけで眠ってしまった。

 11日深夜3時に起きて、どうやら微熱は少し下がり(平熱よりは高そうだ)それに伴いだるさも改善している感じだが、少しだけ吐き気がするのはなんだろう。などとイマイチな気分ではあるが、この「草木も眠る丑三つ時」に柚子の写真を一時間ほど撮ってみたので、まぁその程度には回復しています、副反応は。突然ハーフマクロの85mmレンズを使って柚子を撮るぞと思っても、そういうマクロの静物撮影などほとんどやらないからどう撮るか少し考える。それで読書灯となにかの拍子(たぶんアマゾンプライムデーの推しに引っ張られたのだ)に買っておいたUSB充電タイプのランタンの光、この二つの照明をあちこちに位置を変えつつ柚子に当ててみた。背景も碌な場所がないので、きょろきょろと探す。上の黒バックはなんてことはないPCのキーボード台ですなわち黒いところはキーボードを置くプラスチック製のつや消し黒の台に過ぎません。下の写真の白バックに至っては、これはティッシュペーパーを三枚ほど引き抜いて置いてみた。柚子の実のごつごつした個性が写ったかな・・・早朝からちょっと楽しかったけれど、さっそくこうしてブログを書いているいまはまだ吐き気がします。やれやれ。

 なにも大きなあるいは記憶に残る出来事がそこに纏わりついているわけではないのに、その場面だけが思い出されるときってありますね。30年くらい前、東急東横線都立大学という駅の近くの事業所に通勤していた頃、老舗の蕎麦屋Oで昼を食べていた、あれはたぶん午後から休出するその前に蕎麦屋に寄ったのだろう。そのありふれた店内の二人席に一人で座り、さて何を頼んだのだろうか?たしか冷やしではなく温蕎麦だったから、もし冬であれば、鴨南蛮とか牡蠣の蕎麦とか、あるいは鶏蕎麦とかだったろうか。別に珍しくもないけれど、その蕎麦に刻んだ柚子の皮がちょちょっと載っていた。柚子の香りは食べているうちに徐々に感じなくなったが、一口目、もしくは一口目を食べる前に蕎麦が出されて目の前に置かれたときにふっと香ったそれに、あぁいいなあ・・・と、なんだろうこういうの、ありきたりに言うと「小さな幸せ」のようなことを感じた。そのときの蕎麦屋の店内や、目の前に置かれた蕎麦、などのイメージが思い浮かぶ。それだけだ。その日にそのあとこんなことがあったから蕎麦屋のことも覚えているのだ・・・などという記憶されるべき特別な出来事などなにもないのに。もうなにも覚えていない、同じような外食を、何度もしていただろうに。なのにこの蕎麦屋のことだけは覚えている。

 あぁ、そうか。その柚子の香りに「小さな幸せ」を感じたという、そのことが記憶になって残る鍵だったのですね。と、今、気付く。

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