雨上がりの夜の水仙

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 今日は真冬よりもっと寒い極寒の火曜日だった。終日、氷雨が降り続いていた。夜になってやっと雨が上がった。しかしこの写真は今夜撮ったものではないのです。一昨年の3月にも、夜になって雨が上がった日があり、きょうほど冷えてはいなかったようだけれど、私は雨が上がった夜に近所の住宅街を歩いて、この水仙の花を見つけて写真に撮っていた。その日のこのブログを見ると、雨の散歩の写真が三枚、アップされていたけれど、この水仙の写真はブログには使っていなかった。立った姿勢から、あるいは少しだけ屈んだ程度の姿勢で、写真を撮ってある。もっと低い位置から正面に花のを捕らえた方が「いい写真」なのかもしれないが、わたしがそういうちょっとだけ屈んだ姿勢で写真を撮っている姿が、なんだか別のもっと俯瞰する視線で見下ろしているように思い浮かぶ。きっと足を「きをつけ」の姿勢のように揃えて撮っていたのではないだろうか。

 夜の水仙はひっそりと咲いている。真白が美しい。白い水仙はペーパーホワイトと言うそうだ。子供の頃は二ホン水仙とラッパ水仙はよく咲いていた、庭や学校の花壇に。でもペーパーホワイトなんてあったかなぁ?調べてみると花言葉は「希望」だそうです。真白いキャンパスにこれからなんでも描けるのはまさに希望のスタートのようなイメージだけれど、夜のペーパーホワイトは、そういうスタートの若々しい希望ではなくてもいいよ。いろんな纏ったものを全部捨ててしまえば、最後に真白いピュアな心が残っていて、それは具体的な希望にまい進するエネルギーがたとえばもうなくても、それでもその真白いことだけで尊敬に値する。そういうこともあるだろう。その真白な「芯」が奪われないように。誰かが誰かのそばにいる。

 それをまた戦争に置き換えて言うのであれば、私がまったく知らない言葉で話して愛して食べて笑ってきた、あの遠い国のあなたもあなたもあなたもあなたも、どうか死なないでください。希望のためにも。