新聞

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 1999年頃にフランスとイタリアに(かなり余裕のある今では考えられないような)出張を「させてもらった」ときに、ミラノからコモというスイスの湖近くの町に観光できる日があった。この写真はそのときに撮ったもので、その後、いまも乗り続けているオーダーメイドの自転車を作ってもらうときに、この写真の自転車の「ような」のを希望したのだった。そのあたりの顛末はこのブログの2014年3月28日の記事に書いてある。このスーツをきっちりと着たおじさんは、なぜここに自転車を停めて、なぜ新聞(?)を読んでいるのだろう。例えば、誰かと待ち合わせているが、早く着いてしまって、時間をこうしてつぶしている。例えば、(この写真には写っていないものの)近くの売店のようなところで新聞を買って、自転車で目的の場所(出勤する会社か?)に向かうために自転車をふたたび漕ぎ出す、その前にちょっと気になる記事があってそれを読んでいる。そんなくらいしか浮かばないな。1999年と自信を持って言えるのは、このとき私を案内してくれた方が、今度日本からやって来るナナミというサッカー選手はナカタのように活躍できるのか?どんな選手だ?と聞かれたことを覚えているからだ。ウィキペディア名波浩を検索すると1999-2000シーズンにイタリアでプレーしているから、そこからわかるのだ。

 本日2022年3月24日に、日本はアジア最終予選でオーストラリアに2-0で勝利してワールドカップ出場を決めた。本大会は今年の秋だっけ?カタールで。今日の試合で先発していた遠藤選手と山根選手は、地元の湘南ベルマーレ出身(湘南出身ということで応援してしまうが、実際のところは今年は京都サンガで監督をしているチョウさんの指導のもと大成していった選手だからチョウさんの功績なんだろう)。誇らしい。

 月に一回くらいのペースで母が入居している老人ホームから近況を報告する手紙が来る。メールなんかではなく封書が来るのがなんかいいですね。そしてL版プリントが一枚入っている。母は直近のことは数分前のことも忘れていくが昔のことは覚えている。写真にはホームの運営方針を説明するパワポ資料のプリントを捲って目を通している母が写っている。上述の通りなので、目を通しても、どこまで意味がわかっているのか?そこに書かれた文章の一行か二行は即時的に意味がわかるが、つながった理解はできずに、でもすぐ忘れちゃうので、理解できていないことも忘れるのだろう。さて、その書類に座って目を通している母の姿が、まさに母の姿なのだった。肩の丸まり度合いとか腕の伸び方とか、顔の前傾度合いとか、書類と顔の距離とか・・・それは、ホームに入るずっと前の、すぐになんでも忘れるようなこともなく健康だった頃の母が、毎日毎日朝日新聞の朝刊を隅から隅まで時間を掛けて読んでいた、その姿そのものだ。今年の7月で90歳になる。上の写真で新聞を読んでいる人が写っているから、新聞つながりでこんなことを書いてみた。

 新聞を丸めてそれを刀に見立ててちゃんばらごっこをやった。

 例えばSLや鉄道に関する記事を見つけると新聞を切り抜いてスクラップブックに貼ったりした。切り取ったひとつの記事の外形は直方体とは限らず直線を組み合わせた複雑な形になることもあった。さしずめいまだとネット記事をスナップツールで必要なところだけ抜き取りパワーポイントに貼り付けるようなことだが、ハサミで切り取り、指先に糊をつけて切り取った記事の裏面に伸ばして付け、それを水平を保つように注意しながらスクラップブックに貼るという一連の行為の方が糊の匂いを嗅いだりもして五感でいろいろ感じながらの作業だった。

 新聞紙に野菜をくるんで八百屋は渡してくれた。焼き芋もだ。

 新聞紙がなくなるとけっこう困るんじゃないか?裏が白い折込広告を取っておいて絵を描くことも出来ないな。とか書いたがもう新聞をとるのをやめて十年くらい経つかもしれない。最後にキオスクで新聞を買って、電車で読んだのがいつだったか・・・