無題

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 芝生の上に立っている、まだお互いをよく知らない人々。それでも定められたスケジュールを緊張しつつこなしてきた午前があり、配られた弁当を黙々と食べたあと、残り25分の昼休みは、この芝生のある場所に来て(ほかに行く場所も浮かばない)、なんとなく集まり、なんとなく散らばり、手持無沙汰に遠くを見ているが、誰か最初に話しかけてくれさえすれば、きっと一気に打ち解けて、午後と明日のグループワークは、仕事と学びのためではあっても、それよりも仲間が出来ることが大事で、そうなれば予定が終わるころには、みな笑顔になるだろう。そんな集まりを思い出させる写真があった。

 しかしそんな「連帯」のようなことが、正義を叶え正しいことを学ぶところからだけ生まれるわけではない。その弱さが、ときに暴走するのが不完全な人類という動物なのだとすれば、ひとりひとりが考える力を身につけ、相手を尊重したり慮る力量を学ぶことが大事なのだろうけれど、こんなに大きく広く情報が行き交う「グローバル社会」ってやつと、その情報が嘘であることの巧妙さも手伝えば、結局はなにを信じればよいかわからないじゃないか。そうして我々は孤独と疎外感と懐疑心を持ち続ける。小さな世界で小さく生きることしか解がないんじゃないか。いや、そんなことはないと思いたいではないですか。信じるに値する世界であってほしい。だが、それに成功したという歴史なんかひとつもないのではないか。

 ジョンが生きていたらなにを歌うんだろう。