ときどき雨、つつじの丘

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 朝、スマホのニュースを何気なく流して読んでいたら、神奈川県横須賀市の大田和つつじの丘のつつじが見ごろを迎えているという記事に行き当たった。このブログにも過去、このつつじの丘に行った日のことを書いたことがあると思います。斜面一杯、たくさんつつじが植えられていて、それは壮観な眺めになる。8時頃に家を車で出て、大田和つつじの丘に向かう。日曜日だし、見頃を迎えているとニュースにもなっているから、もしかすると駐車場はもう一杯かもしれない。そう考えると少し焦るから、前を行くトヨタの小さなハッチバックが制限速度を微妙に下回る速度で走っては赤信号に引っ掛かるので少しイライラとし、そんな自分を別の自分が諫める感じになる。出発するときには晴れていたのに、晴れていたから出たわけだが、途中から雨が降り始める。9:00ちょうどに到着。駐車場には余裕があった。ヤフー天気の雨雲レーダーを見て、あと10分で雨がやむという予報だったので、やむまで車の中にいて、先週の京都旅行で買ってきた新幹線八条口あたりの限定ショップでだけ買える志津屋のあんぱん(プレーン)を食べる。雨がやみ外に出る。鶯の声が響き渡る。すぐそこにいるはずだが、鶯を見つけることは出来ない。つつじは入り口付近の休憩所周りは満開だったり、五分咲きだったり、あるいは種類によってはもうピークを越えていたりするが、圧巻の山の斜面に一面に植えられている木はまだまだ蕾でほとんど咲いていなかった。そちらを見に行くのならもう一週間くらいはあとになるだろう。

 それでも咲いているつつじにカメラを向け、接近してボケ味遊びをしながら写真を撮っているのは楽しいものだった。こんな写真はここに使う以外はただHDDに収まってもしかすると二度と見ないかもしれない。デジカメになり枚数がやたらと多くなるということは一枚一枚の写真はそういう運命になる確率が高くなるってことだ。でも写真を撮るという行為に夢中になっているのが楽しいわけであり、成果物のはずの写真そのものは、視点を変えるとある意味ただのおまけかもしれないな。

 下の二枚はまぁよくある花の写真で、それ以上でも以下でもなくて、上手い下手はさておくと、はいこのように赤いつつじがきれいでした、という報告書のようなものだ。だけど撮るときは、今撮った写真とさっき撮った写真と、その前に撮った写真と今からシャッターを押そうとしている写真とで、そこに込める気持ちなんか変えていないし、まぁなんとなく・・・構図を決め、露出を決め、ボケ味を決めて・・・シャッター速度が手振れしない程度に収まっていて、ISOが異常に上がっていないことをたまに確かめて、あとは次々と撮るわけで、この辺の「つぎつぎと撮る」のがデジタルの良さでもあり一方で悪さでもあるかもしれないけれど、ところでこの上記の「構図と露出とボケ味」を決めるときには、結局セオリーみたいなことがあって、それは教科書で習ったことではなく、過去に見てきたたくさんの写真を、一枚思い出すということではなく、花の写真って基本こんな風だよね、そのためにはたぶんこんな構図と露出とボケ味だよね、と考えているに違いない。「違いない」などと書くのは、いちいちそんなことを指先点呼のように確認しているわけではないから、まぁ無意識的なことなんだろう。そして同じように撮って来た350枚くらいの写真を見ていると、上の写真が含まれている。上記のようにして撮っているわけだから偶然の確率というのか、少なくとも自分に強い意図なんかなかったけれど、帰宅して写真を見ると、少なくとも私が私の撮った写真を「選択する人」に、「撮る人」から人が入れ替わり、そうなったときに、例えば下の二枚と違って、上の一枚の写真には、報告書だけではなく私小説のように、なにか物語(を喚起するようなこと)が写っている気がしてしまう。たいした物語ではなくても、その内側に下の二枚よりはちょっとだけ深いなにかがあるような。でもこれが撮影者であるカメラマン、この場合は私の、心が表出した・・・なんて言うことがよくあるようだけれど、本当にそうなのか?ただ、セオリーに則って撮っているけれど、そのセオリーに則っても則り方が完璧でない、その隙間に写る写真が、そんな風に見えるだけじゃないか。だって撮るときにはなにもこの一枚だけ特別の気持ちを持っているわけじゃないから。だけど、「選択する人」になった私は首をかしげ、ちょっと、へぇ~とか呟いて、選び取るわけで、それは本当にカメラマンの能力?・・・じゃないんじゃないか。結局、写真って数を撮ることが大事と言われるのは、こういう撮る自分が撮ったとは思えない、選ぶ自分が他と違うと思う、そういう写真がたまに写るってことが面白さなんだろう。そういうことってスマホで撮っているより専用機(すなわち写真機)で撮っているから起きるのかもしれない。

 と、書いてみましたが、上の写真が下の二枚と違ってちょっと私小説のようだ、と感じている私の、この感じ方がまたひとそれぞれなわけだから、この文章を読んでいただいた皆さんが、えっ?!何言っているかわからない、どの三枚もみな大したことないじゃん!とか、えっ?!私には下の真ん中の写真の方がよほどそういう私小説な感じがするんですけど、上のはつまらないです~、という感想を持たれているかもしれず。しかもそういう確率ってけっこう高いだろう。

 まぁ自分で撮って来た写真をもとに上と下がどうのこうの書いているわけだから自己満足のひけらかしだとしたら失礼しました。写真って面白い。偶然でも写っているものから別の写っていないなにかを感じられるのが。

 

 ひとしきり写真を撮ったあと、帰路につく。雨はやんだけれど相変わらず低い雲。海沿いの国道134号線を走っていると、今日はずいぶん大勢、サーファーが海に入っているのが見える。立石の無料県営駐車場は満車のようだ。渚橋珈琲のところで渋滞する。腰越漁港から江の島あたりも少し混む。茅ケ崎まで戻って来て、街中華の某Mで鶏肉とセロリとエリンギの豆板醤炒めを頼む。するとその料理を持ってきた店の方(料理をしているご主人の奥様?)が、すいません、間違ってエリンギではなくしめじで作っちゃいました、とおっしゃった。別にいいですよ~、でもちょっとエリンギ食べたかったな・・・言われてエリンギに意識的になった。

 満腹になってからさらに茅ヶ崎駅近くの駐車場に車を停めて、いつものロープライスの床屋へ。30分待ち、番号で呼ばれて、モヒカンの理髪師に当たり、しっかり当たり前のカットをしてもらう。

 帰宅してからダゾンでG大阪と湘南の試合の後半をリアルタイムで観戦し、湘南は今シーズンなんと9戦目にしてはじめて勝利した。ほっとしただけで、勝ったらすごく嬉しいんだろうなと予想していたほどは嬉しくならなかった。まだビリ二位。

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