ロックンロールナイト

すり切れた想い出の古いレコード
雨に煙るメリーゴーラウンド
古ぼけた映画のポスター
オイルにまみれたモーターバイク
瓦礫の中のGoldenRing
ボロボロさ誰かのレザージャケット
悲しげなタイヤの跡
優しげに眠る池の白鳥達
これは、今朝起きたときにふと頭の中で流れ出した佐野元春のロックンロールナイトの歌詞に登場する場面。こうして短い言葉で並べられて、だけどいちいち、言い方がダサいけどティーンエイジの頃、もしかすると私の世代がティーンエイジだった頃に、自分勝手な世界の中に確かにあったありふれていて、ありふれていたから共通認識出来て、それでいて繊細で今となっては愛しく思える光景や小物だと思う。別の言い方をすると、この字面を読むだけで私自身も同じものを見てきたその光景がフラッシュバックされた記憶の映像の写真集のようになって、目の前に浮かぶ。すごい歌詞なんだなと思う。
 さて、いままさにティーンエイジにいる人たちのこういう光景って何なんだろう?同じものもあるし、変わったものも、新たに加わったものもあるだろう。レコードジャケットやポスターは印刷された紙ではなくスマホに呼び出す映像ファイルかもしれないが、人間の身体の大きさは変わらないからボロボロのレザージャケットはいまもなにかの象徴かもしれない。オイルにまみれた、モーターバイク?すでにモーターバイクはある種のかっこよさの、すなわち若さゆえの暴走とか自由とかここではないどこかへ、の、象徴ではないのかな?電気で動くようになるとオイルが必要な場所も減ることだろう、多分。やはり、誰かの指紋が残って、もしかしたらガラスがひび割れたスマホのそこに次々と呼び出される映像データというものがこれらの殆どを代替して、しかも世代共通価値ではなく、個人的なことの纏い方の比重がぐっとふえて、こういうものを代替してあるのかもしれないですね。