5月

 朝、5:30、東に向かう。真正面から朝日が当たるあいだはサングラスを掛ける。いつも通り、この時間でも幹線道路には車が列をなし、渋滞ではなくとも一度赤信号になると、何台もの車が列を成す。隣の車線にトラックが停まる。左車線にはトラックが多い、右車線には自家用車が多い。自家用車の方がスピード高く走っているが、その分台数が多いので、信号に引っ掛かると列も長い。すると、左車線のトラックがすーっと追い抜いて行って、だいぶ先で停まる。走り始めるとじきにそのトラックを抜くものの、また同じことが起きる。

 会社に到着したのは6:15だった。だだっ広いアスファルトの駐車場に停めた車から降りると、構内の道沿いの桜並木から、いくつもの鳥の声が聞こえる。鳥の声を聴いてもなんという鳥かはわからない。澄んだきれいな声がする。姿は見えない。早い時間だがぽつぽつと通勤してくる人たちがいて、黙々と歩いている。鳥の声に気が付いてきれいな声だと思いつつもその姿を探すこともなく歩き続ける人がいて、たぶん、鳥の声が聞こえない、なぜなら耳にワイヤレスイヤホンを突っ込んでいるから、という人もいる。ただ、ふと立ち止まって鳥を探そうとする人は見当たらない。

 海で拾った小石は波に洗われて濡れていると模様が美しく際立つが、乾いてしまえばそうでもなかったりする。言い換えると美しいものを見たければ拾ってきた石を濡らせばいい。鳥の声に耳を澄ませ、その声は透明で美しく響き渡る。鳥は持ち帰れないし、囀りの波は消えてしまう。だからといって録音して持っているということでもないだろう。今年も聞いた・・・それをありがたく思い、また来年の同じ時期に聞きたいものだと、そう思っていればいいんじゃないか。

 今日は自宅から自家用車を出発させ、最初の信号を左折したところでフロントグラスのすぐ前を、すいーっと燕が横切った。なんとまあ季節は律儀に周りつづけ、律儀に繰り返してくれるものだ。そしてなんとまあ、何十回も同じ季節を経験していても、一年前の二年前の・・・十年前の・・・五十年前の、何十回もあった5月の具体的な記憶なんてすぐには思い浮かばないな。