次に書くべきなにか

 数日前に友人と居酒屋へ行ったときに刻んだ蕗の薹と桜エビのかきあげを食べた。数駅となりの町にある居酒屋へ行くために、まず家から最寄り駅まで自転車で行った。途中、中学校の正門の横にある八重桜が咲いていた。今が盛りと咲いていた。かきあげの蕗の薹の苦味が美味しかった。その翌日の昼には冷製パスタを買ってきて家で食べた。近所に評判の良いパスタがテイクアウトできる店があり、ときどき買ってくる。冷製パスタは二種類あって、冷製パスタはじめました、というポップが添えられていた。海老とアボカドとフレッシュトマトとブロッコリーと水菜のペペロンチーノという冷製パスタだった。その翌日にはたくさん黄砂が飛んできた。なんとなくマンションの水道水が臭い。黄砂とは関係ないと思うが、じゃあなんだったんだろう?

 会社で何人かの同僚と話していたら、風呂に浸かりながら本を読むという人が複数人いる。私はそういう習慣はないのですっかり驚いてしまった。そのうちのお一人は風呂に浸かりながらハーゲンダッツのアイスを食べてみたら至福だった!と楽しそうだ。そんなにいいものか?寛げるものなのか?アイスクリームはさておき、風呂に入るときに文庫本を持って入ってみた。片手で洗面器にお湯を汲んで身体にかける。もう片方の手は濡らさないようにしている。風呂のドアを開けて、濡れた手をタオルで拭き、床に置いておいた文庫本を手で拾ってから、湯舟に浸かった。なんだ、結局は本を手にする前にタオルで濡れた手を拭くのだから、最初に片手を濡らさないように気を配った意味がないな。浸かってゆっくり身体を伸ばし、風呂桶に背中をもたせて、本を数ページ読んだが、どうも落ち着かない。読んでいるのが内田百閒を主人公にした久世光彦の「百閒先生月を踏む」で、風呂読書に向いてないのかな?(笑)本を読むことに夢中になれない。物語に入り込む前に、風呂で本を読むという行為の目新しさに緊張している気分だ。誰が見ているわけでもないのに、上手くできますようにと頑張っている気持ち。それで余計に読書がうわ滑る。五ページか十ページだけ読んだけれど、視線が字面を辿るだけで、なかなか中身が把握できないから、これじゃしょうがないな・・・と思って、ドアを開け本を外に出してから、もう一度ちゃんと湯舟に手まで浸かった。そもそもわたしは風呂で寛ぐということが苦手なのかもしれない。歯を磨く、トイレで用を足す、などと同じで髪を洗い顔を洗い身体を洗う、という目的をこなそうとしてるだけで寛ごうという意識があまりない。あるいは風呂に浸かると眠くなってうつらうつらするから、読書の入り込む余地が未開拓だ。これが温泉に行く等、風呂を楽しむことを目的設定されると、ちゃんと楽しもうとするわけだが、家風呂でそういう意識になるのは難しい。何度か繰り返せば風呂読書にも馴染めるのかな?

 風呂から上がって髪をタオルでごしごしと擦る。床屋へ行ってから二週間くらいなので、まだ髪は短いからごしごし拭けば、そのうちに乾いてしまうのだ。ドライヤーをする必要がない、もしくは熱風を吹き掛けても一分以下で十分だ。

 昼に上記のテイクアウトパスタの店へ行った日には、夕方になったらまた今度は夕飯をどうしたものか?と考えるのが面倒だなと思ったから、白状してしまうと、夜に食べるテイクアウトパスタも同時に買っておいた。夜用は鶏肉とごぼうのホワイトソース。こっちは冷製ではなく、600Wで3分半温めてから食べるのだ。その日は昼も夜もパスタを食べたわけだ。続けざまに同じものを食べることが良くある。この日のように2回続けてパスタでもいいじゃん、美味しいんだから、と思ってそうするようなときもあれば、食べたものに無頓着で忘れてしまうから、たまたまの偶然で同じものが続いても気にならない・・・というより、無意識化のマイブームがあってそうなっているのかもしれない、そういうことも多い。先週はロースカツを二日続けて食べたことがあった。三日だったかな……

 今日のブログはいつにもましてどうでもいいことを書いているだけだ。むかし、夏目漱石だったか井伏鱒二だったか・・・誰か著名な作家が、書くものが浮かばないときにはとりあえず原稿用紙にへのへのもへじとでも書きはじめれば、次にはなんか出てくるもんだ、と言った、という話はもう亡くなってしまった小島信夫さんが保坂和志さんと青山ブックセンターで対談をしたときに言っていたと思う。あれは2005年くらいのことだったろうか。記憶は曖昧だからそんなことは言ってないかもしれないが、小島信夫さんは最初はほとんどしゃべらず、話を引き出して対談らしく持ち込みたい保坂さんが少し慌てていた感じもなくはなかったが、あるときから急にスイッチが入ったように、小島さんがいろんなことを話し始めて、その中身はものすごく面白かったな。小説は書きながら自分でも次になにがどう出てくるかわからないものだとおっしゃっていた。

 というわけで「次に出てくるなにか」に期待して、こんなにたくさん文章を書いてきたが、次のなにかが出てこないのでここで終わります。

 写真は国道沿いの風景。なんてことはない、今日のこの文章のような写真。