謎かけだらけかもしれない

 日があるうちはずっと南からの海風が吹き続けているこの町でさえ最高気温が33℃を越えたから、東京や埼玉はさらに3℃も4℃も高い気温になったに違いない。そんな日は南の窓も北の窓も開け放てば、海風はいつでも家の中を通り抜けているから、冷房装置を付けずとも、なんとか過ごすことが出来る。だから窓辺に座って読書をしたり、しばらく手にしていなかった弦が錆びたフォークギターをケースから取り出して、ちょっと爪弾いてみる。指は、毎日のようにギターを抱えていたむかしに暗記していた通りに動く曲もあれば、もう忘れてしまって途中で次の指の動きがわからなくなってしまうこともある。何度も最初からやり直してみる。産卵のために遡上する魚が、小さな段差を何度も何度もジャンプしては結局上流に行けずに戻されているが、そのうち十回目か五十回目がもっと何度もジャンプすることもあるのだろうか、結果が出て、堰を越えることが出来たときのように、指が次の動きを思い出して躓いたところを乗り越えるかもしれない。だけど、結局その次の指の動きは思い出せないまま、ギターを本棚に立てかける。500ccペットボトルのガス入り水を冷蔵庫から持ってきて、モロゾフと書いてあるガラスのコップに注いで、一気に飲みほした。コップと書いたが、コップとして使っているのは元はプリンのガラス容器だった。コードの抑え方は概ねぜんぶ忘れずにいた。C、D、E、F、G、A、A♭、B♭、Am、Em、Dm、C7、E7、A7、D7、G7、このくらい覚えていれば、だいたいなんとかなる。しかしすぐに弦を抑える左手の指先が痛くなった。

 それからソファーに寝転がって、文庫本を手にする。今日から読みだした小説は3月の寒い雨の日から最初のページが始まった。この暑い7月に、5月のことはかろうじて思い出せる。だけど3月っていったいどんなだったのだろうか?梅の花は終わり、桜はこれから咲こうと蕾を膨らませている。そういうことなら知識として言えるだろう、ほかにもいくつか。だけど、3月が舞台の小説は3月に読んだ方がリアルな感じがするんじゃないだろうか?そう思ったら、ちょっと読み続けるのが嫌になって、本を閉じてしまったようだ。本当は眠かっただけかもしれない。

 ほんの10分のうたたね。それでも夢を見ていた。起きた瞬間には覚えていた夢の中身は、覚えていたことを覚えているだけで中身がするっと消えていることが多く、すなわちそれは忘れているわけだけど、起きた瞬間に覚えていたから残念な感じがする。それでその感じが、寄せた波が引きながら同時に砂にどんどん吸い込まれてしまう、あの吸い込まれてしまう波に似ていると思っている。今日も波が思い浮かび、うたたねの夢の中身は忘れてしまった。ただ、なんかちょっと「宇宙」って感じがする夢だった。

 そのあと買っておいたコンビニのサンドイッチを食べたり、テレビでサッカー観戦をしたりして、23:00、今日は一歩も外に出ていないから、近くの自動販売機まで清涼飲料水を買いに行こうかなと思い立つ。昼に一本開けたガス入りの水のペットボトルはもう数本あるけれど、なんだかとてもコーラが飲みたいから。

 深夜になり、さすがに少しは涼しくなっただろうと思って外に出たが、空気は火照ったまま町をすっぽり覆いつくしていた。家のすぐ前のバス通り沿い商店街に、十メートルおきくらいに笹飾りが何本か立てられているが、昼にあれだけ吹いていた海風は夜には止まっているから、誰かが願いを書いた短冊や笹の葉が揺れてサワサワ鳴ることもない。体感温度は風がないせいで夜の方がよほど暑いんじゃないか。そしてサンダルのかかとを歩道にずるずる擦り音を立てながら、目当ての自動販売機のあるタイムズ駐車場、家から100mくらいの場所にある、そこまでゆっくり歩いた。ゆっくり歩いて汗をかかないようにするが暑いのだからゆっくりでもそのうち汗が出てくる。そしてゆっくりだから時間がかかる。それだけ長く暑い中にいると、結局汗はたくさん出る。では走った方がいいのか、走ると身体はますます熱くなり、汗がたくさん出てしまう。だけど時間は短くて済むんだけど・・・どっちがいいのか。街は静かで、自動車もオートバイも何故か通らない。

 深夜の自動販売機は、2001年宇宙の旅に出てくる石板のよう、と思ったことがあった。夜の闇のなかに、誰も来ないのに煌々と輝いている直方体。もし自動販売機という物品だけが過去にタイムスリップしたらある日それを見つけたクロマニヨン人は販売機を取り囲み、恐れながらもそれに触れる。その指先から知恵を感じ取るだろう。これからそういうフェーズを迎える星があったら、その未来に知恵や知識が核兵器を産まないことが望ましい。あるいは宇宙戦艦ヤマトに出てきたコスモクリーナーを産んでほしい。コスモクリーナーは核汚染を綺麗にしてくれる装置だった。

 などと思いながら、歩いて行く。自動販売機に先客がいる・・・ことにしよう。まだ自動販売機が見えないところを歩きながら、想像する。先客は魅力的な・・・具体的になにを魅力的と感じるのかはわからないが・・・女性だとしよう。そして、私が自動販売機に到着するとき、彼女はコーラを一本手に持っている。こんばんは、と私が言うと、彼女はちょっとおびえるようにして小さくこんばんはと言う。それから自動販売機に百円硬貨を入れようとする私を少し離れた場所からじっと見ている。私がコーラのボタンを探していると、彼女が言った「あの、いま私が買ったこのコーラがどうやら最後の一本らしくて、ほら、全部の商品のボタンに「売り切れ」って字が光っているでしょう」

 そのあと、①なにも言わずに彼女は逃げるように去って行く、②ごめんなさい、と言ってから去って行く、現実にはまずこの①か②のどちらかしか起きないのではないだろうか。その他の③のようなことはまずあり得ない妄想なんだろう。その妄想の③は「③彼女は、ここでこのコーラを二人で半分づつ飲みましょう、と提案してくる」だ。もちろんコップなんかないから、それはラッパ飲みの回し飲みだった。そしてコーラを順に飲みながら、なんでこんな深夜に自動販売機に来たのか、その状況をお互いに話すんだ。その理由がすぐには理解できないような話だと面白いんじゃないか。彼女の話。彼女の部屋の窓を開けると隣の家のサボテンが一本高く伸びて眼の前に届いている。そのサボテンから蕾が突き出てきてとうとう花が咲いた。一晩だけでしおれてしまう花だ。咲いている短い時間、花はなんだか狂乱して爆発寸前のように咲き狂って見える。彼女はなんだか花に覗かれているみたいで、花が怖くなり窓を閉める。すると今度は蒸し暑い。扇風機が風を切る音っが途切れずに一律にずっと鳴っている、そのさーっという音に気が付いてしまうと、うるさくて眠れない。それで気晴らしにここにコーラを買いに来ました・・・。そんな話。

 角を折れたら自動販売機がいつものように光って立っているのが見えた。そして、いま妄想していたようなことは起きていない。そこに女性がいることはなくて、光に寄せられた蛾が数匹舞っているだけだった。

 缶コーラはゴロリと出て来た。自動販売機の下の方にある取り出し口から屈んで缶を取り出すと、その時点ですでに缶の表面が結露して濡れている。ここで飲むか、歩きながら飲むか、持って帰ってモロゾフのコップに氷を入れてから注いで飲もうか。自動販売機はコーラを一本買ったところで売り切れになんかならないな。だからもしこのあとに女性が来ても、もう全部売り切れですよ、だからこのコーラ一本を二人で分けましょう、遭難者が残った水を分け合うように、とは言えないな。


 なんて感じの作り話をスタバでコーヒーを飲みながら考えている人がいるかもしれません。

 この自動販売機の話は、私が二十歳の頃に書いたショートショートをもとにしている。その文章はあまりに稚拙なので、そのまま転記はできなくて中身もだいぶ変えましたが、自動販売機で出会いがあって商品は売り切れている、という話が、万年筆で原稿用紙に書いてあった。上の文章では「妄想」としたことが、その原稿用紙に手書きされたショートショートでは現実の出来事として起きていて、女性(ショートショートでは「女の子」と記してある)と主人公の「僕」は自動販売機の横でコーラを飲むようになっている。コーラじゃなくてサイダーだったかな。少なくとも水ではないです。

 しかも奇妙なことに、その二十歳の頃に書いたショートショートでは、深夜の自動販売機で「僕」と「女の子」が出会って、最後の缶コーラをもらうもらわないというやり取りがあったあとに、これは(誰も観客なんていないのに)事前に示し合わせた芝居だと書かれているのだ。「女の子」は自動販売機の前で二人芝居を終えると「演技って疲れる」と言うのだ。さらに読者に対する謎かけがあって、ここに書いた文章のどこまでが芝居でしょう?と書かれていて、それでショートショートが終わっているのだった。

 やれやれ、夏は謎かけだらけかもしれない。