勝利の瞬間に電車が鉄橋を渡った

 下の『JR東日本』で始まる文章は7/8夜に投稿されるよう予約投稿設定にして実際には一日前に書いておいたものでした。そしてその設定をしたのち投稿までのあいだに安倍元首相の事件が起きてしまい、その後のいま、自分がそれ以前に書いた文章を読むと、なんだかどうでも良い暢気なことを書いていて良いのか?とも思います。これを書いてる土曜の朝、いつもの通り電線に止まってるスズメやヒヨドリが鳴き、なにかの用事でどこかへ向かう単車や車の音が聞こえ、マンションの近くの部屋の生活音も聞こえてきた、これぞ日常生活という感じに包まれてます。昨夕、会社からの帰りの車で最新配信されたポッドキャスト番組オーバーザサンを聴いてきましたが、番組の収録は月曜だが火曜なのでもちろん安倍元首相の事件に関してはなにも触れられなかった、というか、私の下の文章のように、それ以前に番組パーソナリティーのスーさんと美香さんがトークしている内容なのだった、当たり前ですが。大きな悲惨なことが起きるとその日が断面になり、それ以前の平穏や暢気が、遠く場違いに思えたりする。われわれは、安倍元首相の事件で危うい世界が隣接してることを、平穏や暢気に見えてしまうほんの数日前から断面を越えて突き付けられた。あるいは数ヶ月前には、戦争がいまも平気ですぐに起きてしまうことを知らされた。絶対にそれに慣れてはいけないのだろう。世界の戦争と、日本の一つの凶行を、なにかとんでもない惨事への警告と受け止めるならば、もう一度自由であることの意義、暴力の怖さ、当たり前と思っている平穏や暢気やそれこそ平和を維持することに意識的になり(←ここが無意識になってるのが平和ボケ)エネルギーを使わなければいけないんだろう。7/9朝に以上を追記しておきます。


 JR東日本湘南新宿ライン多摩川を渡るときには、下流に向かって西岸河川敷に最初の野球場があり、川の流れがあり、東岸の河川敷にも野球場がある。7/2の猛暑だった土曜日、湘南新宿ラインの車窓から見えたのは、東岸の河川敷野球場は誰一人野球をしておらず、西岸河川敷では試合が行われているようだったが、選手の数もそれを見守る大人たちもとても少なく、9人のチームになっていないようだった。熱中症で子供たちが倒れるニュースが多いこともあり、それでもまだ野球の試合をしているという方に危ないんじゃないかと感じてしまった。そんなことを思いながら、コンデジのワイド側、たぶんフルサイズ換算28mmあたりで、東で2枚(ただ河川敷の野球場があるだけで子供はいない)、川の流れを1枚、西で3~4枚の写真を撮った。その間10秒にも満たず、野球少年たちの投げる動作やバットを振る動作の決定的瞬間を見極めるなんてことは出来るわけもなく、ただ、鉄橋に寄り添っている架線用の鉄塔が写真に被らないように、あるいは太い電線?が画面の上をなるべく横切らないように、と念じながら撮った(実際にそれをシャッターを押すタイミングを推し量ってよけるような技はなかなか習得できない)。今日、その写真を一昨日からちょっと個人的にリバイバルブームになっている、トリミングおよび諸画像処理による「低画質な記憶写真」化をやってみた。このやり方を最初にはじめたのは2006年須田一政写真塾に通いはじめた頃、そのひとつきの間に撮った写真から例えば300枚をLサイズプリントにして先生に見てもらう、その中にこういう方法で作った写真が数枚入っていて、それが先生をはじめメンバーに評判が良かった。それで気をよくして、次の月に、その手法の写真ばかり50枚くらいを持っていったら、こればっかりだと(策におぼれていて)つまらないと言われた。そんな風にこの手法を自分なりのやり方で確立して15年以上経っている。大判サイズのフイルム写真を後から詳細に見直して、その一部だけを取り出して写真にするのは写真家松江泰治(私がやっていることととても近しいと知ったときに思った)が2008年にcellという写真集にまとめている。

 話が戻るが、そして、繰り返しになるが、鉄橋を渡る数秒のあいだに撮った写真は通り過ぎる瞬間にそこにどういう光景があったかを受け入れるのみで、決定的瞬間を待ったり、構図を作りこんだり、そういうことは出来ない。テクニック的には移動する電車からの撮影なのでぶれなくしたければ高速シャッターを選ぶべきだし、ぶれの効果を期待したいなら自分で見つけ出した少し遅いシャッター速度で後ろに飛び去る光景を流し撮りする程度のことしかできない。

 そして写真を見直し、野球少年が何人か写っていて、じゃあこの選手とこの選手のあたりをトリミングして拡大しようとPCモニター上で写真の拡大率をどんどん上げて行ったら、そこで初めて、このときに試合が終わり、守備についてた選手が、例えばこの写真の中心の選手は喜んで真っ直ぐ飛び上がっているようだし、向こうの少年はガッツポーズをしているという、まさに勝利の瞬間が写っていることに気が付いた。そしてこの軽く飛び上がった勝利のポーズの瞬間のあと、選手は着地し、ベースのあたりで整列するために走り始めたかもしれないが、電車はさっさと走り去るからそんなところはわからないままだ。