物語の分岐点

 昨日のこのブログに「偶然に運ばれる」ようなことについて書きましたが、しかし、これは「必然的に発生する意味の或る偶然に運ばれる」かもしれず、もっと簡単に言うと「必然に運ばれる」ということかもしれないですね。ブックコメ欄にUさんから「運命的な偶然より、運命的には必然の方が私にはしっくりときます。どうでしょう?」というご意見をいただきましたが、それを読んでいて、これは実は必然という単語と偶然という単語は実は同じことであって、起きるものごとや見える事象の捉え方に対して、もっと広く言えば、世の中に対しての捉え方あるいは向き合い方に対して、受動的なのか能動的なのかという、これはもう性格というのか人柄によるだけのことだ、とも思いました。こういうのは一旦そう思っても、そのあとまた心にくすぶった疑問として残存してなにかの折に再び考えて、そのときはそのときで違う(一旦の)結論になるようなことでしょう。

 誰かが図書館でAという本を借りようとしたけれど借りられていたので、たまたますぐ近くにあったBという本をぱらぱらっと捲って、挿絵が気に入ったから借りてみた。そしたら挿絵はともかくそこにはいままで興味がなかった珍しい楽器Cについて著者がその演奏に夢中になって海外まで旅をし最後はCの楽器製造者になった経緯が綴られていた。それで誰かはCの音楽を聴いてみたくなりネット上で調べたが、通販サイトではよくわからないので、都内で世界のいろいろな楽器やCDを扱っている楽器店Dに行くことにした。店ではいろいろと聞くことが出来て満足だった。昼下がりの東京を歩いていると、にわかに空が暗くなり、激しい夕立が来たので、たまたま近くにあった喫茶店Eに寄り、コーヒーを飲んだ。そのときにテーブルの上にいま買ったばかりのCDを置いた。たまたま楽器店Dの商品を入れる袋が透明袋だったから買ったCDが透けて見えた。すると隣のテーブルに座っていた青年Eがそれを見つけて声を掛けて来た、実はEも楽器Cに興味があったのだった・・・・数年後、彼らは結婚しました。という物語があったとして、ここに書いたのは彼らを主人公としていまに至る物語に多かれ少なかれ関わったことだけを抜き出しているから、偶然のようなことも運命(個々の人生)を定めた必然とももちろん言える。だけどもし雨が降り出すのがあと30秒遅かったら、喫茶店Eは通り越し、雨宿り出来る場所が見つからないまま街路樹の下に身を寄せた。そこに通りがかりの男性Fが誰かに傘をさしかける。そして二人は駅まで小さな傘の下に身を寄せて速足で歩いた。駅に着くと・・・男性Fは音楽にはあまり興味がなかったが、サーファーだった。二人は結婚して誰かはときどきFが海に入っている時間、砂浜に座って本を読む。本は人気作家Gの最新作でその短編には猫と楽器Cのことが書いてあった。猫がひっかいた楽器Cから流れ出た音がきっかけのファンタジーだった。誰かは思う、むかし楽器Cに興味を持ったおかげでいまのわたしはこうしてFのサーフィンを見ている、と。こういう別の物語に転換した可能性だってあり、その別の物語の選択は何百何千もあって、この後者にはならず前者になったのは運命(必然)ともいえるが、偶然が運命を定めたという人もいる。そして後者のように誰かがFと出会った場合は、前者の青年Eは登場していない。もしかすると直前に誰かとEはすれ違っているけれど運命の必然にはならずに忘れ去られた。

 私は昨今は「必然は必然と感じる偶然のなかの異種」みたいな捉え方をしていたので、ちょっと面白かったです。ブックコメありがとうございました。

 写真は平塚市にある30年かもしかすると40年近く営業を続けているカレーやスパゲッティや洋食のレストランで、その数十年前からいまもずっと窓際に置かれている地球儀の写真。三~四日前に撮りました。もしかするとまだソ連の名前があるかなと思って撮って来たこの写真を拡大してみましたが、その文字があるあたりは写っていなかった。11月頃になると季節限定の牡蠣のカレーというのが始まります。そのカレーが大好きで、毎年一回は食べる。その前の秋にはたしか栗のカレーが出て、いまはひき肉と茄子のスパイシーカレーだった。というわけで年に二回か三回だけ、実家と私の家の行き帰りの道にあるので、昼か夜を食べに立ち寄ります。年に3回でも30数年だから100回くらいは行っている。当然マスターとも面識があり、ときどきちょっとだけ話します。店の四人席のこの地球儀の近くの席に座った子供が、この地球儀を見ながら一緒に来た親から世界にはいろんな国があるということを教えてもらい、それがまたなにかのきっかけになるかもしれないな。

 あるいは若い結婚を控えたカップルのどちらかがこういう光る地球儀を家にインテリアとして欲しいと思い、それを婚約者に話すが同意を得られず、そこからはじめて二人は喧嘩をするのかもしれない。

 赤道の青線はなにかの経緯で、あとからそうなったのかな?