正方形への逃避

 8月に撮った写真はなんだかぱっとしないな。

 高校1年のときは中学から引き続きブラスバンド部でホルンというかその簡易版みたいなメロホンという楽器を吹いていたが、部活がつまらなくてたまらない。自然消滅的に退部して、2年生からは写真部に移った。写真部にはクラスの仲のいい友達が大勢いて、これは楽しかった。誰かの家に4人5人と夜に集まり、30分交代で一台の引き伸ばし機で写真を伸ばした。覚えているのは、その待ち時間にとりとめもない話をしたこと。ちょうど超新星爆発だったかなんちゃら彗星だったか夏の天体ショーがあった年で、その友だちの家の窓をくぐると出ることができる屋根の瓦の上に座って、そんな夜空を見上げながら(結局超新星だか彗星だかはどれだか判らなかったけれど)話し込んだ。どんな話題だったのかはもう覚えていないけれど、こういう写真プリントを作りたいとかそういう話だったのかな。あるいは写真作品のコンセプトというか作品に込めた主張のこととか、青臭いに決まっている主張。わかりやすいものを安易に作るんじゃない、みたいな主張ですかね。そしてその頃から写真に「スランプ」を感じたら①広角で撮るとそれっぽく見えて自信が復活できる②正方形にする、というスランプ二大脱出策が言われていた。本質ではないけれど、なんとなくいい感じに見えるのが広角と正方形(6×6)というわけだった。
 繰り返すがこの8月に撮った写真はなんだかぱっとしないな。ぱっとしないまま9月になった。それでそういうズルみたいな脱出策(所詮は症状を見かけ上抑えるだけで本質的な解決ではないのだが)を使ってしまった。②のスクエアサイズへのトリミングという方法で。でもそんなことをやってもダメな感じですね。

 写真部の部室からは校庭が見えて運動系の部活の連中が放課後にランニングをしたり当時はそれが良いとされていたうさぎ跳びをしていた。陸上部や野球部だけでなく山岳部の連中も体力を付ける目的なのだろうか、グラウンドの周りを何周も走り込んでいた。それを見た部長のS山くんが「俺たちもトレーニングしようぜ」とふざけて言った。それは高速巻き上げのトレーニングで自分の一眼レフカメラを持ち、右手の親指でフイルム巻き上げレバーを回しては、人差し指でシャッターを押す。その繰り返しを高速で出来るようにというトレーニングなのだが、もちろん真剣ではなくおふざけだった。持っていたカメラは使い込んだ風に少しへこみが出来たり、塗装が剥げて地金の真鍮の色が見えてきたり、そういうのがかっこいい。でもわざとぶつけたり、やすりで擦るわけにも行かないから、そこはちゃんと使い込むうちに自然とそうなるのを待つしかなくよってフイルムが入ってないときでもずっと手にカメラを持っては空シャッターでも切っていた。だからジーンズは自然に色が抜けてそのうち破けてくるのがかっこいいのであって、最初っからストーンウォッシュって言うのでしたっけ?あれはズルした感じ。スクエア写真と同じで。

 ぱっとしないから三枚もぱっとしない写真を載せてしまいました。